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公益財団法人 日本科学協会

教育・研究図書有効活用プロジェクト

日本知識大会

笹川杯全国大学日本知識大会2013

開催概要

開催日:
2013年5月19日
開催大学:
中国人民大学
参加人数:
400人(60大学)

参加大学

  • [黒龍江省]
    東北林業大学
    哈爾濱工業大学
    哈爾濱理工大学
    黒龍江大学
    牡丹江師範学院
    [吉林省]
    吉林華僑外語学院
    吉林師範大学
    長春理工大学
    北華大学
    吉林化工大学
    吉林師範大学博達学院
    延辺大学
    [遼寧省]
    大連民族学院
    大連外国語学院
    大連大学
    大連海事大学
    瀋陽航空航天大学
    遼寧大学 渤海大学
  • [北京市]
    中央財経大学
    北京理工大学
    北京第二外国語学院
    北京林業大学
    北京民族大学
    中国人民大学
    北京郵電大学世紀学院
    北京科技大学
    北京外国語大学
    清華大学
    [天津市]
    南開大学
    天津外語大学濱海外事学院
    [河北省]
    河北聯合大学
    河北北方学院
    河北師範大学匯華学院
    [甘粛省]
    蘭州理工大学
  • [山東省]
    山東大学
    [江蘇省]
    江南大学
    南京大学
    南京信息工程大学
    南京師範大学
    三江学院
    江南大学
    蘇州科技学院
    蘇州大学
    揚州大学
    常熟理工学院
    淮海理工学院
    [河南省]
    河南理工大学
    南陽理工学院
    [安徽省]
    合肥学院 安徽大学
  • [上海市]
    上海大学
    東華大学
    上海海事大学
    上海海事大学
    上海外国語大学
    [重慶市]
    西南大学
    [湖南省]
    湖南大学
    [貴州省]
    貴州大学
    [福建省]
    福健師範大学
    福州大学陽光学院
    [広東省]
    広東外語外資大学

「笹川杯全国大学日本知識大会2013」参加者感想文

東華大学  日本語科3年 李婧雄(団体戦1位)

東華大学  日本語科3年 李婧雄(団体戦1位)

 (訳文)(日本語力がまだ不十分で、日本語では気持ちを伝えきれないと思ったので、中国語で記すことにしました。必要以上のお手数をおかけしていたら申し訳ありません。) 笹川杯を知ったのは去年の夏休み前でした。クラスの専門科目の先生のから、参加したいかと尋ねるメールをもらったのです。自分の知識量ではこんな全国的な大会に出る資格はないと自覚していましたが、試してみたい気持ちもあると答えました。その決断が正しかったのかどうか、それからずっと悩んでいました。結局、2012年度の大会まで4ヶ月あまりの準備期間しかなく、十分とは言えないこの期間中にどれほど自分の能力を高められるのか自信がなかったのです。 夏休み中、当時の参加選手2人に会って、準備をどうするべきか打ち合わせてからは、ずっとネットを通じて連絡をとっていました。不思議なことに、顔を合わせたのはその時が最初で最後だったのです。2年目だったため、2選手は相次いで卒業してしまったのでした。 初めて笹川杯の準備をしたとき、普通とは違った方法を使ったことは今でも覚えています。私達3人は、各選手が単独で得意分野を担当して、毎日ネットの掲示板で問題を出して、他の2人の参考にする方法をとったのです。夏休みをそれで通して、自分の問題集も累積で分厚くなり、大会に向けた自信もだんだん強くなっていきました。しかし思いがけず、新学期に入ってほどなく、笹川杯が中止されるかもしれないという知らせが入ったのです。がっかりしましたが、きっとただの噂だろうと自分を慰めていました。しかしそれから半月後、引率の先生から「今年の笹川杯日本知識クイズ大会は開催延期が確定、具体的な日程は未定」とのショートメッセージが来たのです。一瞬、自分の努力が無駄になったように感じ、なんとも諦めきれない気持ちになりました。 こうして、後は開催を待つばかりという状態まで来ながら、笹川杯は通り過ぎてしまいました。その名前だけがずっと脳裏に深く刻まれ、何かを失ったような、実現できていない宿願のようなものとして残ったのです。 ですが、運命はいつも冗談が好きなようです。 今年、笹川杯が改めて開催されることになり、3年次で大学生活も終わりの段階ですが、今回の大会に参加する幸運に恵まれました。 しかし今回の準備期間は去年よりさらに短く、知らせが来てから大会までわずか1ヶ月しかありませんでした。今度は最大限に力を出して、2人の新しい選手とお互いに促し、それぞれの得意分野で準備をしました。準備期間中、時間があれば資料を読んで、覚えにくい知識は語呂合わせのように近い音を使って記憶を強化しました。歴史上の人物や有名文化人に当たったときは彼らの関係図を整理して、つながりでしっかり覚えるようにし、蜘蛛の糸さながらの関係線を引くたびに、万物の関係は本当に不思議なものだと感心したものです。こうした緊張したり楽しみを探したりの状態で、クイズに関係しそうな知識をできるかぎり頭に入れて、初めての笹川杯に備えました。 本当のところ、大会期間はあまりも短いわずか2日間でしたが、その中からは多くの収穫がありました。最初に、落ち着いた心理状態です。他の選手がどうだったのかは知りませんが、私個人は大会全体を通して、特に緊張し過ぎることはありませんでした。最後まで、全力で対処する気持ちで参加できたのです。この全国大会では、もっと強い大学チームもたくさんあるだけに、勝つことにばかり集中していると、自分の力を押さえ込む結果となってしまうので、大会の過程を楽しみ、たくさんの他大学と競技できるという貴重な機会を楽しむほうがいいことは分かっていました。そうしたほうがこのクイズ大会ならではの楽しみを自分のものにできます。次は、最後まで戦い抜く信念です。我がチームは2回戦から最後の決勝まで、毎回のように時間を延長しました。失敗は恐いかどうかと聞かれれば、答えはイエスです。しかし、延長したからといって勝負に対する自信が低下したりはしませんでした。逆に、少なくとも私個人は、気持ちで負けてしまっていたらきっとよい結果にはならないので、思い切って取りに行ったほうがいいと思っています。たとえ負けても自分が満足する答えを出せるのです。 こうして我がチームは1位を獲得しました。実はその結果を聞いた時、夢のようでみんな信じられませんでした。それからわき上がってきた喜びは、なおのこと言葉で表せません。私にとって、これは自分の努力に対する肯定であり、日本語を学ぶ情熱をかきたててくれる存在でもあります。きっと、この大会をきっかけに、私はただ本を眺めて学ぶのではなく、より全面的に日本を理解できると信じています。将来は、仕事の分野にかかわらず、日中関係の促進に貢献できるようになりたいと願っています。 以上が2度の笹川杯との出会いです。この2度の出会いで感じたものは違いますが、自分の成長史上でかけがえのないページになることでしょう。

東華大学 日本語科3年 焦蘇揚(団体戦1位)

東華大学 日本語科3年 焦蘇揚(団体戦1位)

 (訳文)二年前から大会には注目していました。まだ一年生だったので、ちょうど本学での開催時に決勝戦を見ることができました。当時は今とルールが違っており、もっと厳しかったように思います。細かい質問にリーダーが落ち着いて回答する姿には敬服しました。 今回まさか参戦できるだろうとは思ってもみませんでした。大会の一ヶ月前に先生から通知を頂いてすぐ、準備に入りました。前から大会テーマがなまじ分かっていただけに、プレッシャーも感じたものです。日本文化はよく知っているほうだと思うものの、過去の問題を見たら降参するほかありませんでした。出鼻をくじかれたので、本を読み直すより興味のあることから日本文化の理解に努めようと目を転じることにしました。例えば決勝戦で山中伸弥先生に関するテーマがありましたが、ちょうど前から興味を持っていた日本人の一人だったので、詳しいデータを見た覚えがありました。単なる興味だったので大雑把にしか知識はありませんが、丸暗記していなくても、四択問題では覚えていたイメージで正解を選ぶことができたのです。 結果論で言えば、丸暗記しても勝ち進むことはできません。出題範囲は広く、内容は深いので、きちんと覚えているだけでは不十分になってしまうのです。大会後、優勝チームは準備に苦労したかと何度も質問されましたが、準備はいずれ必要なものであって苦労というほどでもないと思います。普段の積み重ねと運で答えて勝ち抜きました。二年ちょっと前にはさっぱり分からなかったテーマも、日々の日本語学習の中からだんだんと分かってくるようになったのです。 参戦から結果発表まで、チームにはたくさんの嬉しい驚きがたくさんありました。優勝チームは東華大学、と聞いた時、私は「北海道の道産子は果たして馬なのだろうか」などと考えていたのをまだ覚えています。謙遜に過ぎるかもしれませんが、私もチームメイトも勝負にはそれほどこだわっていませんでした。だから問題により集中できたのかもしれません。二回戦から決勝戦まで、他チームの番でも問題に分からない内容があると、舞台上の回答者と同じように正解の発表を待ち構え、休憩時間の早押し問題には観客と同じように手を上げて回答していました。本当に大会と一体化して、どの問題にも答えていたのです。決勝戦進出後はやはり心境に変化が出てしまいましたが、問題ではなく能力に対する心配が出てきたのです。心配を抱えたまま回答に臨むと、安易に答えを見つけ出そうという興奮に負けてしまいます。勝算がなかったからこそ、一問もミスしないで済んだのかもしれません。 大会はまたたくまに終わったというと少し嘘になります。準備中に知識を渇望したこと、大会中で問題が面白かったこと、いずれも日本語学習意欲をかきたててくれました。三年も学んでいると、日本語学習にも倦怠期はありましたが、こうして日本語知識の大海原に向かってみると、遠くへ漕ぎ出したい気持ちが膨らんできたのです。大会後、日中関係についてもたくさん質問されました。ひとりの中国人、学生として、心から両国の友好を望んでいます。両国間の全てのエピソードが歴史の一ページになっても、知ることに国境はありません。真に知識を追い求め、世事に明るい人であれば、不協和音を奏でることはないのです。今大会は中国学生がみんな日本語を学ぶ面持ちでした。こうした交流はきれいにハーモニーを奏でます。いつか自分も日中友好に尽力したいと思っています。

東華大学 日本語科3年 張哲琛(団体戦1位)

笹川杯に参加して

東華大学 日本語科3年 張哲琛(団体戦1位)

 (訳文)笹川杯の知らせをもらったのは、大会のちょうど1か月前でした。大会までの時間は短いものの、ものは試し。経験してみようという気になり、指導教官からの誘いに二つ返事で応じました。そして2人のチームメイトと参加準備を始めたのです。1か月はあっという間でした。期待と不安をトランクに詰めて、長距離列車で北京に駆けつけました。 5月の北京は南方と大差ない気温で、砂ぼこりで空気が少し黄色いぐらいでしたが、ときおり街に吹く風には綿毛のようなものが浮かんでいました。南方ではとっくに綿毛の季節が過ぎていたので、これは意外でした。 18日の朝、ホテルから出発する人の群れに混じって会場へ。信号が青になると、回りから慌ただしい靴音が。古代の遠征で打ち鳴らされる太鼓のようで、急に琴線に触れました。顔を上げると、正装した3人チームの歩く姿が。彼らの談笑する横顔には自然とある種の自信が見えていました。戦争では通常「士気」と呼ばれる類の自信です。この大会が戦場だとすると、戦争の始まる前から、私は彼らの「士気」に押されて武器を棄て、戦いもせず逃げるようなものだったろうと思います。 実際、大会が始まるまで、入賞する可能性はこれっぽっちも考えていませんでした。ステージに上がるその時まで「参加することに意義がある」と自分に言い聞かせ、気分を落ち着けていたのです。しかしチームメイトと一緒に人民代表大会逸夫会議場の演台に上がり、大学名の入ったたすきをきちんと着け、スコアボードをおさえた時、自然と責任感が涌いてきました。少なくともたすきに書かれた東華大学の4文字に恥じないようにと思ったのです。 大学に入って以来、全学を代表して試合に参加したことが一度もなかった私は、団体戦で勝利を争った経験もそれほどありませんでした。成功も失敗もきわめて個人的なことしか経験がなく、「集団の栄誉感」は個人の成長を重視する化学科にいるうち、子供の乳歯のように捨てられてだいぶ経っていました。しかし2人のチームメイトと舞台の北西側に立って、同時回答問題終了後の不利な局面のもと、一問ずつ回答ボタンで主動権を奪い取ってじわじわと他チームを追い上げていた時、心臓が脈打つのを感じました。絶対に単なる緊張ではなく、興奮と、長い静寂から息を吹き返した「集団の栄誉感」もあったのです。 この世には永遠に前を走る人もいれば、遅れて歩く人もいます。すべてが水の泡になって、再び同じスタートラインに立つ時、レースでいい位置につけるためにはどうすべきでしょうか。強者より遅れていることが心配でびくびくしているか、遅れている人を鼻で笑うか。答えは出番の合間にふと思いつきました。「傲慢でもなく卑屈でもなく」、の言葉が強く心をノックしたのです。二回戦が終わった後、名門校チームがぽつぽつと赤いたすきを外しては握りしめ、舞台を降りていく物寂しい表情の一方、ちょうど反対に、決勝まで順調に勝ち進んだ無名チームが驚きと喜びを浮かべているのを見て、ふと朝のびくびくしていた自分を笑ってしまいました。他人の笑顔を見て敵前逃亡を考えた自分を。傲慢でもなく卑屈でもなく行けばいい、勝敗は出身校で決まるものでなしと自分に言ってやったのです。 私達は準決勝を制してついに決勝を迎えました。決勝戦の前夜、私達3人は明日もなんとかできることはあるさと冗談を言っていたものです。口ぶりには一番ありきたりな欲がにじんでいました。しかしそれからの行動で思っていたことがばれます。私達はなんと作戦会議を始めたのでした。ベッドに寝そべる者あり、携帯電話を持ったままの者あり、椅子の上で足を組んでいる者ありと三者三様カジュアルな格好でしたが、3人ともふだんは引っ込みがちなので、こうした方法は特別な意味合いも見せていました。18日の晩、私はベッドの上で、もしかして2人も同じように、一日の試合の後で、「集団の栄誉感」を燃やし始めていたら、最高に熱くなれるなと思っていました。 19日の朝、もうすぐ決勝戦が始まるという時。会場は人波がごった返し、決勝戦の緊迫した雰囲気がざわめきを伝って会場の隅々に行き渡っていました。いよいよ出番。私は急いで2人をキスアンドクライに来るよう催促したのはいいものの、大学名の入ったたすきを忘れてしまいました。急いで人混みをかき分け席に戻ると、心の中で何かがぽきっと折れました。早くからそこに潜んでいた緊張感が、私の隙を狙って待ち構えていたのです。「そもそも最後に行くほど順位はいいんだよね」席からチームに戻った時、たすきを握りながらそんなことを考えていました。来る前の無知と恐れるものがない心境は、遠く少年時代のように、童心を懐かしんでも二度と戻ることはありません。欲求が心の中でせり上がってきました。ここまで来たのだから、順位を見てみようと思ったのです。 決勝戦が始まり、同時回答問題の部は前回までと同様、他チームに後れをとってしまいました。それで焦り始めた私は、掌に汗をかいていました。気分の波が早押し問題の最初2問に強く影響し、確実に分かる問題だったのに回答の機会を逃してしまったのです。瞬く間に「しまった」という気持ちが全身を襲いました。この気分から抜け出そうと、問題の合間に顔を上げ、観客席を眺めてみました。向かい合わせの数人と目が合い、見知らぬ人が自分を凝視しているというのは奇妙に感じました。もしかすると選手から観衆に戻った人たちが、始めてこの舞台に立つ前にも、知恵で勇敢に回答するという最後のこの一幕を想像していたかもしれません。そしてその時、私は舞台上にいて、彼らは観客席にいるという時点でかなりついていたのでしょう。どうして最終順位にこだわるのか、大会の過程を楽しもうと、申し込んだときの気持ちが一番大事だと思ったのです。傲慢でもなく卑屈でもなく、の言葉がまたしても心をよぎりました。その瞬間、全身が軽く感じられて、汗でべとついていた掌も良質なクロスで拭き取ったかのように治まっていました。 気持ちがどれほど重要かは最終結果が証明してくれています。チームメイトと黄金の笹川杯を抱え上げたとき、私は観客席を目で追っていました。あの時に向けられたあの眼差しを探して。しかし手にした栄誉が本当に重すぎて、支えながら人を探すのは私には無理でした。一心にありがとうと念じることしかできませんでした。 この充実した週末のあと、列車は忠実な駿馬さながらに私を南へと連れ帰りました。一瞬一瞬を拾い集めてみると、収穫はたくさんあったと思います。冷めた大学生活にもチームで闘う熱いひとときがあるのだと教えてくれたチームメイトに感謝。対戦相手にも友達にも、傲慢でもなく卑屈でもなく接することがどれほど大事か教えてくれた見ず知らずの人にも感謝しています。この時間の結果として、金杯を南の街へ持ち帰ることができましたが、振り返ってみると、最終戦に負けたとしても心残りはなかっただろうと思います。

安徽大学 日本語科4年 楊瑞雲(団体戦2位)

安徽大学 日本語科4年 楊瑞雲(団体戦2位)

  (原文)今回は笹川クイズ大会に参加し、そして二位を獲得出来たことに、非常にうれしく思います。この大会を通し、もう一度チームワークの重要性を感じました。最後まで戦い抜いたパートナーの徐龍鳴と周娟に「ありがとう」と言いたいです。三人で協力したからこそ、この二位を獲得出来たのです。 クイズ大会の結果が発表された時、徐龍鳴の「私の大学がこの様に終わるとは思わなかった」という言葉に感動しました。 このクイズ大会のために準備していた時は「めんどくさい、もう四年生だから、もっともっと遊びたい」と思っていました。しかし、今はクイズ大会に参加して良かったと思います。二位を獲得したからだけではなく、このクイズ大会を通して友達も出来ましたし、今まで知らなかったことを体験出来たからです。大学生として、何か新しいことに挑戦する勇気が大事だと感じました。  私たちの大学生活が今回の訪日旅行で締め括れることを、非常に嬉しく思います。

安徽大学 日本語科4年 徐龍鳴(団体戦2位)

安徽大学 日本語科4年 徐龍鳴(団体戦2位)

 (訳文)日本財団から賛助を受け、日本科学協会と中国人民大学が主催する「2013年笹川杯全国大学の日本語言語文化知識クイズ大会」が5月18日〜19日に中国人民大学で行われました。安徽大学代表として参加できて光栄です。2日間の戦いを経て、楊瑞雲さん、周娟さんと努力した結果、団体戦2位の成績を獲得しました。入賞したため、8日間の訪日交流研修イベントに参加できる機会も手に入りました。ここで改めて、日本財団と日本科学協会に感謝を申し上げます。よりよく日本を理解する機会をありがとうございました。 今回の大会はもともと去年10月に行われる予定でしたが、中日関係に微妙な変化が発生したため、開催が今年にずれ込みました。現在の中日関係に微妙な変化があったため、今回の大会はより意義あるものとなりました。今度の大会は60の大学ともっと多くの日本語学習者に、日本の政治、文化、経済といった分野の理解をより深める基盤を提供しました。日本科学協会の大島美恵子会長が開幕の挨拶でおっしゃったように、現在の中日関係は困難に直面しています。こういう時期こそ、両国の関係改善に努めるべきで、中日関係は若者の交流を通して維持していくべきです。 中日関係は歴史が長いものの、歴史、現実、文化の各面でさまざまな矛盾した立体構造となっており、時に食い違いがあります。民間の交流は中日間の相互理解を促進し誤解を解消するためにとても有益で、留学、往来などはより重要な効果を発揮します。このため、私は今度の訪日の機会を利用して、日本文化を利用すると同時に、両国文化の交流を促し、中日の文化を伝える絆や橋になろうと思います。 中日両国の友好的な往来は何度か一時的な停滞を経てきましたが、しかし私は中日の友好協力関係が大局の赴くところで、そちらに人心が向かうことを固く信じています。両国の友好的な往来は最終的に妨げるもののない時代の潮流になるはずです。

安徽大学 日本語科4年 周娟(団体戦2位)

安徽大学 日本語科4年 周娟(団体戦2位)

 (原文)まずは、もう一回私の指導先生——朱冬冬先生に感謝したいです。朱先生の助けと世話のおかげで、私たちの三人が二位を獲得できました 。 正直に言えば、もし今回の笹川クイズ大会が予定通りに去年の10月に行われたなら、今と同じように第二位に入賞しても、たぶんそんなに嬉しくなれないかもしれません。大学時代の最後に、またクラスメートと一緒に同じ目標のために努力できて、本当にありがたいと思います。 2012年の5月、クイズ選手になってからずっとこの試合のために準備していました。社会、文化、娯楽、歴史、チームの三人は違う領域を担当して、定期的に集めて各自の資料を交換したり、共同勉強したりしました。その間、朱先生もいつも私たちに一番新しい資料を提供して、準備の要点を注意しました。あの時、うちの三人は優勝を狙って、やる気満々に勉強して、「きっと出来るだろう」と信じていました。だから、釣魚島事件の後、試合が延期すると知らされた時、三人とも失望して堪らなかったんです。「延期なんかたぶん取りやめの意味ですね、でなくても、再開の時もたぶん卒業したかもしれなくて、参加できないです」これはあの時の真実の考えです。大学時代の最後の学期が始まった後、自分がずっと仕事を探していて、クイズ大会のこともだんだん忘れました。ある日、突然に先生からの電話をもらって、早速試合の準備を始めてくださいと言われました。でも、私はもう実習を始めました。毎日遅くまで残業して、帰ってもすぐ寝たいので、前回と比べて今回の準備は本当に不足でした。その原因で、最後にチームワークのおかげでトップ三位に入賞できても、自分がやはり不思議と思いました。 試合の準備期間に、日本の文化、地理について、色々な資料を見ました。今回は自分の目で日本の美しい山水を見られて、自分の心で日本の優雅な文化を感じられて、本当に楽しみです。

北京郵電大学 日本語科3年 袁姝(団体戦3位)

私の時間が再び文化と隔たりませんように——「笹川杯」日本語知識クイズ大会に参加して

北京郵電大学 日本語科3年 袁姝(団体戦3位)

 (訳文)笹川杯は私にとって初めての幸運な体験でした。尊敬する先生、信頼出来るチームメイトと肩を並べて作戦を立て、不安、決意、はらはらどきどき、いちかばちかのすべてを経験したのです。決勝戦の最終問題が終わって抱き合った瞬間がいちばん泣けるのは分かっていました。 復習と参加の過程を思い出してみると、四月末チームが結成されたばかりのとき、これは成長する機会だという左先生の言葉が心深く響いてきました。心の奥底で以前から持っていた願望そのものだったのです。もっと歴史文化に親しみたいと願いながら、あまり関連書籍に目を通して来なかったので、今なお徹底的に理解しようとせず、行き当たりばったりに過ごしています。 読んできた本は本当に少なすぎるのです。生活の中で中日の文化を理解するために費やした時間も。その思いで、自分を低く見る気持ちが参加の準備期間からずっとまとわりついています。大会が終わった今でも。 だから今でもはっきり覚えているのですが、明るい研究室で、私達が先生の前にぎゅうぎゅうと立っているのを見て、先生は「前からのものを拾い上げるいい機会ですよ」とおっしゃいました。 それからの時間はとても早く流れました。本を買う、借りる、聞いたニュースや日本ドラマの「これは覚えないと」と感じた瞬間を覚えるなど。わが校にとって初めて参加する「笹川杯」は、私にとっては初めての参考書のないクイズ大会でした。いいたとえではないのですが、範囲がなく枠組みもわからず、相手がこの上なく強大な試験のようなものです。茫然自失とはやる気持ちの二つの状態がせめぎあい、『黒子のバスケ』の「ピンチって、ちょっと燃えません?」のようになっていました。 私は藤原家の太政大臣の名前を覚えておらず、よく保元の乱と平治の乱の時期や経緯を間違え、重要な戦争のこともはっきり分からない始末でした。以前は文学関係が得意だったのですが、近現代になると、年表を書き写してもごちゃごちゃしてしまうのです。さらに重要なのは、丁寧に読み込んで深く考えないと、名前と作者を上辺だけ知っていても何の足しにもならないことです。先輩が助けてくれたり、みんなで努力して励ましあったりして、大会前日の明け方まで討論しましたが、私達は不安で落ち着かないまま会場に入りました。 私たちは会場でぴったりくっついて立っていました。100パーセントの信頼で、興奮を勇気に変えたのです。100パーセントの力を出して埋もれている過去の知識を掘り出したのです。ついに分かりました。こうした大会は、一夜漬けは慰めにしかならないこと、最も重要なのは意識することなく歴史文化に注いだ時間で、歴史文化に対して愛情や親しみを保つ習慣であり、それらは緊密につながっていることです。 団体戦で共有した思い出は、高校の同級生の手伝いで山中伸弥教授のインタビューを聞いていたおかげで、その母校が神戸大学医学部だと知っていたこと。戦国時代を舞台とするいろいろなゲームを覚えていたのを理由に、歴史や地理の関係する問題を担当したこと。地名やその変遷などはお手の物でした。ずっと前からしっかり覚えていたので、よく似た選択肢があれば、チームメイトと反対の意見でも、迷わず正解を選ぶことができました。ある日ふと思いついて本を暗記しようとしたから開いた夏目漱石の『こころ』で、最初に覚えたのが「精神的向上心のないものは、馬鹿だ。」だったこと——そういったものが決勝戦で出題されたのです。先生とおしゃべりしていてふと日本アニメの話題になったときもありました。今はもうほとんど具体的な人物名を忘れてしまっていますが、タイトルを見た瞬間に、異常なほど確信を持って「先生から聞いた、彼だ」と思ったことも。 同じように、霊感の微妙な導きがあって、基礎があまりしっかりしておらず、ふだん全く気に留めていないため手の打ちようがなく、最初にそうしなかったことを後悔したこともあります。大会ではたくさんの落ち着いた博学な人が拍手喝采を浴びる姿も目にしました。彼らは恐らくもっと広くいろいろな書物を読んで、しかも無数に細かい知識を蓄積して、それによって自由自在に回答して、栄冠を手に入れたのでしょう。かつて私は、あちらを立てればこちらが立たずになり、学習に最適な時間を逃すことを心配して、山のような本を買って、細々と読んでいました。実際は間違って歴史を理解し、知識の蓄積を生活と切り離し始めていたのです。本当に歴史文化を愛する人々は、その蓄積の過程を生活に溶け込ませ、彼らの時間は文化と不可分です。 中日の歴史と現実に向き合い、中日文化をむやみに論評する人は少なくありません。しかし、覚えもせずに好き嫌いは言えません。心から文化を理解しようとしない人もおのずと存在して、そういう人たちによる評価は、当てにならないうわさだけに基づいて、話に色をつける「当て推量」。以前は自分が十分に理性的だと思っていましたが、今は五十歩百歩だと思います。この大会をきっかけとして浅はかな自分に向き合わなかったら、私は恐らく引き続き「学習」自体の困惑にとらわれて困っていたことでしょう。文化と隔たりのある生活での考えは、中庸で内容がない判断に似ています。大会はすでに過去ですが、蓄積と思考に関わりを持つ習慣の初めとなって、これからの人生を貫いていきます。世界は広く、興味を持てる事物に出会うことそのものが貴重なことです。文化への愛がいつか本物になりますように、私の時間がもう文化と隔たったものになりませんように。

北京郵電大学 大学院生1年 唐菲(団体戦3位)

大切な時間——「2013年笹川杯全国大学生日本語知識クイズ大会」

北京郵電大学 大学院生1年 唐菲(団体戦3位)

 (訳文)かつてはよく講演、論争、知識を競う大会などにたくさん参加してきました。ですが時間が流れるのは早いもので、当時の闘志はなくしてしまったように感じ、そうした大会は無縁とまで思うようになっていたあるとき。「2013年笹川杯全国大学生日本語知識クイズ大会」が私を舞台に引き戻し、自分や皆さんと向きあわせてくれました。私にとって、この大会はとても貴重な機会であり、すり減ることのない記憶になるはずです。 参加するまでは、この大会が大規模だとは知っていたものの、どれほどのものであるかは自分の目で見ないと推測では分かりません。逸夫楼の前にそびえ立つ案内板を見て、参加大学名をすべて読み終わってみて初めて、全国60もの大学から200数名の選手が参加すると知ったのです。正直に言って、北京郵電大学の代表としては当然、他の大学の代表と同じように、母校に栄誉をもちかえろう、たとえできないとしても、惨敗して母校に恥をかかせるまいと思っていました。そんな不安にびくびくしながら二回戦に望んだのです。試合には事前の準備を積み重ねることは重要ですが、運も無視できない要素であることは否定できません。第6組の対戦中、わが校と他二校が勝ち抜いて準決勝への切符を手にしました。準決勝に進めば選手交代があるだろうと思っていたので、実はそのときプレッシャーが小さくなっていたのです。準決勝では、準決勝の中で、たくさんの選手の「戦い」を見ていて、何度も自分の知識がとても少ないことに感嘆しました。今回の試合の結果に関わらず、これからもっと日本を知らなければと考えていたのです。日本語専攻の学生がそういうことをしっかり理解していないというのは実に恥ずかしいことです。私達のチームの番になり、緊張した雰囲気の中、最後の決勝戦までたどり着きました。楽しさだけでなく、励まし、賛同、大事にする気持ちがもっとありました。せっかく決勝戦に出るチャンスを手に入れたのだから、がんばって日本旅行を勝ち取ろうと誓い合いました。決勝戦では戦いがより激しくなり、差をつけるのがとても難しくなりました。果たして、最後二組の選手が一位を、もう二組が三位を争ったとき、幸いにも後者になることができたのです。幸運の女神のご加護かもしれません。鍵となる早押し問題のところで、回答権を勝ち取ることができたのですから。その時は感動のあまり、後輩たちに抱きついてしまいました。この大会のためにみんなたくさんがんばってきたのを知っていたからです。わが校だけでなく、他校の選手もみんな。試合結果に優劣はつきましたが、私達が母校のヒーロー、ヒロインであることは否定できません。この大会のためのがんばりは、自分で認めるべきだと思います。 この大会が一番教えてくれたことは、大切にする気持ちです。準備から参加まで、一歩一歩びくびくして進んできました。大切にする気持ちが分かっていなかったら、そもそも参加のチャンスを見逃していたかもしれず、決勝戦まで進めなかったかもしれません。もっと重要なのは、中日関係が去年からずっと硬直化していざこざが続き落ち着きを取り戻せていないなか、学術交流を絶やさないことです。日本語を学ぶ学生にとっては、それが励ましにも慰めにもなることは間違いありません。このまたとない機会を大切にせよと教えてくれたのです。この大会では他大学との交流の基盤が得られ、皆さんと競うなかで、日本語学習への興味が増したことは、大切にしていくほかありません。

北京郵電大学 日本語科4年 李鵬飛(団体戦3位)

日本語

北京郵電大学 日本語科4年 李鵬飛(団体戦3位)

 (訳文)次は第4ブースと第1ブースの3位決定戦です。では問題。 「これ、分かる?」「自信ないな。ちょっと待って。」「どう?」「うん、大丈夫。」「じゃあ私が答えるね。」「了解。」 1、2、3! 第4ブースが回答権を獲得! 私達のチームは回答ボードにBと書きました。その問題の答えは『菊と刀』の一節だという確信があったのです。 正解はBでした。 感動を隠しきれず、3人でぎゅっと抱き合ってしまいました。優勝できないことは分かっていましたが、勝ったのです。すべては終わりました。 この3日間の経験は本当に夢のようで、少し現実味に欠けていました。最後の決戦場までたどりつき、自分の勝利を手にしたのです。 勝った!反射的には遂に勝ったという感覚でした。ためらっていたため優勝のかかった最終問題の回答権を獲得できなかったのですが、勝利したことは分かりました。残念ではありますが、後悔はしていません。それから、以下のようなことを最初にお話ししました。 参加した他のイベントを振り返っても、これほど痛快に勝ったものはありませんでした。これまで試合に勝った経験も少なくはないのですが、今回の勝利の感覚は全く比べものにならないのです。ですので、私達のチームが勝てた理由についてちょっと分析して、将来チームを組むときの参考にできればと思います。もちろん私達のチームが最高だから、みんながそっくりにまねするべきだというわけではありません。ただ、勝利を収めるには必然の理由があるので、そうしたことをお話しすれば他の人の役に立てるかもしれないというだけです。なので、論理に漏れがあったり激しかったりかもしれませんが、それでも整理してご紹介できればと思います。間違いや抜け漏れもあるかと思いますので、お気づきの方はご指摘ください。 ではチーム結成から話を始めましょう。 まず、メンバー選出の基礎がとてもしっかりしていたと思います。先生が選ばれたのは、とても冷静、聡明で努力家でもある袁姝さん。まさに神童でした。勝利への第一歩です。チームには中心が必要です。リーダーではなくてもかまいませんが、みんなを先導する働きは必要です。以下の4点はするべきことだと思います。まず、他のメンバーよりも勝ち気で影響力が強いこと。攻めるべきとき攻撃を打ち出し、チームを前進させることです。次に、チームを公平な状態に保ち、穏やかな心理状態でさまざまな課題に対応できること。3つめは、他のメンバーとうまくつきあい、みんながその周りに集まって一団にまとまるようにすることです。4つめは、大部分の作業量を引き受けて、メンバーが力を発揮しやすい環境を整えることです。袁さんはこうした面でとてもよく働いてくれました。私達のチームではリーダーを決めていませんでしたが、彼女が団体戦では大部分の問題を解いてくれたから勝利が確保できたのです。無意識に彼女に寄りかかっていたのだろうと思います。ですので、彼女は全く優れた基礎でした。 次に、唐菲先輩が加入して審判と指導者が確定しました。袁さんが基礎の石だとすると、唐先輩は用途に合わせて石を削り出す彫刻家です。先輩のリードにより、私達のチームは安定した心理状態を持つことができました。問題の回答数が誰よりも多かったというわけではないのに、です。(先輩の目には入りませんよね?……なんまいだぶ。)先輩のおかげで他2人が安心でき、また準備や出場の時に全力を出さざるを得なくなりました。先輩はチームを堅実なものに変えることができた人です。彼女がいなかったら、チーム全体の雰囲気がこのようなトーンにまとまったかどうか想像もできません。また、チーム内の議論に審判を下してくれる存在でもありました。私と袁さんが言い合ってけりがつかなくなったとき、先輩が落ち着かせて正しい決断を出してくれたことも何度もあります。 そして、どのチームにも1人は雑用係が必要です。2人のチームメイトは並々ならぬ冷静で落ち着いた人柄でしたが、比べると私が一番そうでなかったと思います。私は後れをとっている時、やぶれかぶれになって自信がない問題に手を出したり、さっぱり分からないのに回答権を取ってしまったりということもありました。2人が安心して任せてくれた問題を間違えてしまったこともあります。ですが、こうした信頼をなくすリスクのある行動をしたから、2人のプレッシャーをかなり引き取ることができ、他の問題にはより自信を持って回答してもらえたのだと思います。また、私の生まれ持ったブラックユーモアもチームに暖かみを持たせ、調和のとれた雰囲気づくりに役立っていました。これが今回のイベントで私の演じた最も重要な役割だと思っています。回答権を獲得したり問題を解いたりといった貢献は、これに比べれば取るに足りないものです。 実際はできなかったこともたくさんありますが、人選の時点で決まっていたことです。これは人生で何度も味わってきたことなので、強く確信しています。ですので人選が今回の勝利の鍵でした。また、私達のチームは一緒に出かけることがあまりなく、大会の直前まで一緒に行動していなかったと言えますが、強いコンセンサスがありました。これは3人の性格によるものだと思います。相性の良いチームメイトとの間には、おのずと絆が生じます。もし相性がいまいちだったら、絆を結ぼうとしても逆効果になる可能性があるので、気をつけなければなりません。左宗棠と曾国藩の故事を思い出しました。両人とも才徳兼備と言わないわけにはいかない将軍でしたが、左宗棠は性格があまりにも頑固だったため、曾文正公のやりかたを容認できず皮肉を口にすることがよくありました。後年、前半生での旧友が後半生にはほとんど話もしなかったのは残念だと言わざるを得ません。 また、知識面での問題もあります。知識クイズ大会の場合、各チームは自分のチームの3人はできるだけ異なる知識を持って、チーム全体の知識を拡大できればと思うでしょう。しかしそれは違うと思います。3人が共通の知識を持っていない場合、暗黙の了解や信頼はどこから育てればよいでしょうか。答えを議論するときにも、チームが分裂してしまうことでしょう。3人の間で効果的なサポートができないと、チームの団結は恐ろしいほど壊滅的になります。ですので、メンバーを選ぶときは、ある程度共通の得意分野を持つように気をつけるようお勧めします。そのほうがチームに溶け込みやすいのです。こうなると、彼らが自分で勇敢に立ち向かわなければならないことに出会った時、チームとして戦う勇気と信念をもつことができるようになります。それでこそ本当のチームです。三国時代、張遼が天津から遠征した時、もともと李典と楽進とはあまり折り合いがよくありませんでしたが、共同作戦を何度か経るうち生死を共にする部隊の雰囲気が作られ、800人で10万人を破るという不朽の戦功をもたらしたのです。 しかし、事をはかるは人にあり、成功するかどうかは天のみぞ知ると言われるように、優秀なチームを作れれば、成功も間近だと感じられます。しかし現実はいつも残酷なもので、勝利の頂に到達できる人はいつも少ないのが世の常だと思っています。実際にやってみると、勝負に影響する要素はあまりにもたくさんあります。苦心して勝利を強要する人が、今回の勝利はきっと誰それがどうしたからだなどと言うなら、その人はあまり実情を分かっていないのだろうと思います。戦線を離れた指揮者が言い習わした言葉ではないでしょうか。次に、今回の大会で勝敗に影響した原因を少し列挙してみます。勝利は必ずしも誰かの手に収まるというものではなく、そうそう起きないこともたくさん出てくるものだと皆さんにお伝えしたいからです。今日は彼らが勝利しても、明日は他の人が勝利するのです。月は満ちて日は西に傾くのと同じように。 出場順。個人的には、2回戦で第6ブースだったのが一番ついていたと思っています。競争相手のレベルと自分たちとの比較はさておいて、最も重要なのは最後に出場したことで、場のリズムを読むための十分な時間がとれたことです。これは5戦分の経験を持っているのに相当します。第1戦から直接参加している人にとって、直面するプレッシャーは1階級どころのものではないでしょう。 出題の内容。恐らくこれが勝利を決める鍵です。知識クイズ大会に参加する人は、誰もが自分の知識が万全で、少しも死角がなく、全ての問題を積極的に取りに行って、微笑しながらあっさり解けることを望んでいます。しかしそんなことは明らかに不可能です。誰にでもできないことはあるのです。問題集が無情にも自分の苦手なところだったら、運が悪かったとあきらめることしかできません。「時間は待ってくれないよ。」「ああ、力不足だったか。」とも言えますが、かなり簡単だと思っている問題が出た時に他の人が落ち着きをなくしていたら、うれしさを顔に出してしまうでしょう。ほくそ笑みながら、自信たっぷりに回答を書き込みつつ…… 早押しの運。間違いなく早押しは運だと今でも思っています。私は自チームの早押しボタンをずっと持っていました。毎回2問は得点を稼げたのですが、反応して手を出すのが早かったからではないと思います。早押しスタートの音がするたび、神のご加護を願っていました。そしてチャンスが獲得できるたび、ラッキーだったと冷や汗をかいたものです。2回戦以降、私達の運命はぎりぎりのところにかかっていたので、自分の点数を取って他の人のチャンスを奪い取れなければ、とっくに再戦のチャンスを失っていたでしょう。ここまで来られたのはいったい何のおかげだったのでしょうか。運だったと言うほか、何も挙げられません。 最後は単純な運です。ここでの話はひどい内容かもしれません。全くできない問題について、運がいいときは、当たらないで済んでしまうのです。最も悲惨なのは舞台を降りるたび、前に見たことがある本や出た記憶が、雪片のように飛んで来て、正解も同時に思い浮かぶとき。あの感覚は本当に……本当に記憶力が悪いのでしょう。それでも、最終的にそれで失敗しないで済んだのは、本当に幸運でした。 色々たくさんお話ししてきましたが、引率してくださった先生が一番忘れられません。もし左先生でなかったら、私は本当に毎日ここまで活力と情熱をいっぱいに戦えたかどうか分かりません。先生は最大限の励ましと助力をくださいました。食事中、先生が急に「李さん、君がこんなにいい人だとは今の今まで気づかなかったよ」と言われたことが記憶に残っています。それを聞いたときはどきっとしました。先生ががんばってネクタイを締めてくれたのも思い出しました。20分ほどかけて、最後に出かける時に私のネクタイを丁寧に整え、肩をぽんと叩いて行ってらっしゃいと声を掛けてくれたのです。やっと第3位を獲得した後、先生は笑顔で私と拳を合わせ、「さっき2人と抱き合ったのは女の子の喜び方。今度は男の子の喜び方でね!」この上なく感動してしまい、興奮したまま拳を合わせることしかできませんでしたが、気持ちが伝えられていますように。 ごちゃごちゃとたくさん書いてしまいましたが、この辺りで文を終えようと思います。この文を書くにあたって、文の構造やつながりを全く考えていませんでした。完全に気の向くまま、思いついたところから書いてしまったので、読まれる方にはご不便おかけして非常に申し訳ありません。言いたかったことを読み取っていただけたら幸いです。最後までお読みいただき感謝します。ありがとうございました! あちこち分析してきましたが、実際は役に立つものではありません。深く記憶に残っているのは、準決勝で2問の後れを取っていたときのことです。それ以降の全問に答えたうえ、追加問題でやっと運よく次に進めました。決勝でも1問の後れを取っていました。もしトップ3でなかったら、最後の1組とはどこが違っていたのでしょう。私のチームメイト達もこう思っただろうと思います。2人は最後まで諦めず、ずっと勝利への渇望を持ち続けていました。たびたびの逆転も、粘り勝ちも、そのおかげです。諦めなかったことが、勝利した最も重要な原因だと思います。間違いなく、勝利には多くの理由がありますが、まとめると一言に尽きます。勝利への渇望をずっと捨てないこと。この大会での勝利ははっきりしない中、劇的でもありましたが、努力しなければ永遠にもたらされないものもあるのだと私は信じています。 今回は本当に終了しました。しかし、この大会で得られたものは、今後の人生にも計り知れない影響を及ぼすでしょう。何物にも代えがたいと思っています。この上なく豊かな経験が得られました。チームメイトの信頼、先生からの応援、もちろん日本への旅行もあります。これだけあったら、一生の喜びに十分ですよね。

中国人民大学 大学院生1年 譚浩(個人戦1位)

はじめまして、笹川杯

中国人民大学 大学院生1年 譚浩(個人戦1位)

 (原文)笹川杯と出会ったのは一ヶ月前からのことです。ある麗らの春の朝、授業が終った後、先生が一種の神秘な微笑みで、クラスの全員に呼びかけました、「誰かクイズ大会に出てみないかい」、そうして「譚君が頭一番切れるのです。」と皆さんの提言によって僕が推薦されました。  それで、皆さんのおかげで、僕は笹川杯と出会い、一ヶ月間の付き合いを始めました。笹川杯は中日交流の一つの橋です、こういう大会に参加することだけに意義があります。優秀を遂げればいいなと惨敗したら面目も立たないなという妄想と心配を抱きながら、早速一ヶ月間のクイズ稽古に踏み込みました。 はじめまして、笹川杯、どうぞよろしく!  最初からどこからはじめればよいのか迷っていました。幸いに僕は一人で戦うのではない、後輩の丁さんと付ちゃんもついているのです。三人寄れば文殊の智恵、まさにその言葉です。それから毎日の夜、僕達三人は頭をそろって、学校のコーヒー屋に座り込み、こつこつ稽古をやってきました。資料を収集したり、最新情報を交換したり、戦略を練ったりしました。最初にはクイズにやられて、全敗した悲惨な経験が何回もありました(クイズ50個で一個も当たらないこと)。「あ、絶望だ!」と苦笑しながら嘆きあいましたが、お互いに慰めあい、失敗を続けてきました。いつの間にか、調子がよくなり、正確率も徐徐に上がりました。ある夜、信じられないほど僕達が全勝しました(50個のクイズに全部正解でした)。「あ、やった!」僕達は歓声をあげ、わいわいしました。このような嬉しさを味わうのは久しぶりです。残念ながらその日から二度と全勝したことがありませんでした。といっても、前よりかなり自信が持っていることは間違いなかったのです。このように、30日間毎日の夜、雨とも風とも、僕達はこの小さなコーヒー屋で苦楽をともにしました。たぶん実力がまだ足りないが、チームの凝縮力といったら誰にも負けないと僕達は確信していました。正直にいうと、最もすまないのは、コーヒー屋のオーナーです。ずっとコーヒー屋の場所を借りて、さんざんお世話になっていましたが、一度コーヒーを注文したことはありません。大会で賞を獲得したら、必ず飲み物をたくさん注文しようと僕達三人は冗談半分で約束しました。  あっという間に一ヶ月が過ぎました。各大学の選手達が人民大学に集まり、会場でお互いに顔を見合わせました。誰でも真剣な顔で、どこでも戦う雰囲気が満ちていました。遠路はるばる殺到してきた選手達は疲れているはずだが、分厚い資料をもって、会場で復習に当たる方が多かったことに感心しました。とうとう大会が始まり、準決勝戦まで進みました。観戦している僕達三人は選手達の奮闘ぶりに圧倒されました。皆様がこんな強いとは驚きました、丁さんと付ちゃんが僕と顔を合わせて不安そうに、 「どうしよう、大将、俺達勝ち目がなさそうだよ。」(いつもの稽古のときの綽名です)。  先輩としての僕はここで弱気を吐いてはいけない、チームを一丸にしなければいけないのです。 「や、大丈夫だよ、いつものように臨めばよい。私達の敵は自分だ、自分に勝てばそれは勝利だ。結果はどうでもよい」  そうして、「結果どうでもいい」という覚悟で僕達は決勝戦を迎えました。  いよいよ出陣です!  5月19日の12時ごろ笹川杯クイズ大会が幕を閉じました。最後に登場したボランティアの生徒達が「風になる」との歌を歌いながら、踊り始めました、そのとき、一種の感動が僕の胸に充満して涙となって目から出ようとした。  必死に抑えましたが(男として涙ボツボツはちょっと)、感動と感謝の気持ちは押さえきれません。思い出すたびに胸がいっぱいです。大会の準備に睡眠不足の先生達(目袋がかなりでていた)、大会に積極的に働くボランティア達、司会者たち、遠路はるばるの各大学の選手達、日本科学協会の皆様に対して、感謝の意を表しなければなりません。皆様、ありがとうございました、本当にお疲れ様でした!また来年お会いいたしましょう! 笹川杯も、来年よろしくね。  (よし、この文章を書き終えたとたん、今まで胸に詰まっていた感謝の気持ちが発散できました。今晩こそ、丁さんと付ちゃんを誘って、一緒に例のコーヒー屋にコーヒーを飲みにいきましょう。)

大連外国語大学大学院1年 汪逸晨(個人戦2位)

笹川杯-夢の力-

大連外国語大学大学院1年 汪逸晨(個人戦2位)

 (訳文)クイズ大会の組織委員会から大会参加の感想を求められたのですが、個人的に笹川杯と自分のエピソードを書きたいと思います。 初めて「笹川杯」に接したのは2008年の9月か10月で、大学に入って間もない頃でした。「笹川杯」は当時まだ全国規模で開催されていませんでしたが、私の大学は幸運にも東北ブロック第1回大会の開催地だったのです。当時まだ大学1年になったばかりの私は、日本語はさっぱり分かりませんでしたが、それでも現場で決勝戦を見ました。結局、たかが新入生には大会のテーマもほとんど分からなかったのですが、それでも興味が湧いたことは覚えています。本当に面白くて、まるで昔あった李詠の番組「幸運52」みたいだと感じたのです。 時が経つのは早いもので、私が再び「笹川杯」に触れたのはもう2011年4月のことでした。ある日キャンパスで「笹川杯」学習チームのメンバー募集ポスターを見かけたのです。募集対象は1年生と2年生。しかしその時、自分はもう3年次後期でした。それまでだったら、性格上、こうした大会イベントなどには先生に言われでもしない限り、何かと理由を見つけては出ないことにしていました。例えば「募集対象は1年生と2年生だけだから、3年次後期の学生なんてお呼びでないな」とか、「今は大学院の受験を控えているから、気を散らすわけにいかない」とかいう感じで、探せばいくらでもそんな理由はありました。しかし今回は本当に違ったのです。私はそのポスターを見て以来、何日も「笹川杯」のことだけで頭がいっぱいでした。「この大会は是非とも参加したい、出なくては」とばかり考えていたのです。この20年あまり、ここまで強烈に参加したいと思ったことなんて初めての大事件でした。 チームに入るには、略歴を提出して面接試験を受けなければなりません。学生会に略歴を提出するとき、3年生だからと断られかけました。ついに迎えた面接試験の日。水曜日の午後で、面接試験は順調に進み、結果は金曜日に発表すると聞いたのをはっきりと覚えています。しかし金曜日に面接試験の発表を見たとき、泣いてしまいました。合格者名簿に私の名前がなかったのです。面接試験の責任者だったチームリーダーから夜9時過ぎに電話をもらいました。名簿に掲載されなかったのは、募集対象が原則として1年生と2年生だけだから3年生の名前は出せなかったのことでした。しかし学長は、本当にみんなと一緒に知識を学びたいと言うならチームに傍聴生として参加してもいいだろうと言ってくれたのです。こうして、傍聴生としてですが、1年生と2年生の後輩達に交じってチームに参加しました。 それから水曜日の晩ごとに、学習チームは日本と関係する様々な知識を学びました。回りは私より若い後輩達でしたが、私は少しも気後れしませんでした。本来、学びに年齢は関係ありません。いつから学び始めても、学ばないよりよいのです。 2011年6月、4年次に昇級する夏休み前に、先生とリーダーから、次の学期に「笹川杯」大会があると知らされました。学習チームが他大学も若手であることと、私が真面目に学習し続けていることから、大会参加の準備をさせてもらえることになったのです。まさに望外の喜びでした。ずっと傍聴生として学んできたので、まさか代表として大会に参加できるとは思っていなかったのです。 その後の夏休みと2011年の10月連休は、ずっと真剣に勉強して大会に備えました。しかし残念ながら、南京大学での大会に行った時は発揮しきれず、興ざめしてしまいました。しかし、その時には内部進学考査の結果が出ており、この大学で3年間学び続けることが決まっていたので、がっかりするなと自分に言い聞かせました。また代表になって「笹川杯」に参加する機会はあるのです。 そのため「笹川杯」はそれから1年半の間、冬休み、春休み、5月と10月の大連休の全部について回りました。今年5月に中国人民大学での「笹川杯」日本知識クイズ大会に出るまでずっと続いたのです。大学は実家から離れていましたが、夏休みと冬休みは毎年たくさんの本を抱えて帰省し、ゴールデンウイークにも旅行に出かけず、ずっと学内で勉強して大会に備えました。 もちろん、大会にかけた努力や準備を表沙汰にすることは全くなく、「今回はそんなに勉強してこなかったな、真面目に対策してもいないし」などと話すこともできました。そうすると、まるで賢いから勉強しなくても楽に好成績を収めて楽々と日本旅行に行けるみたいでしょう。ですが、そうしようとは思いませんでした。そんなことをお話ししたいわけではありません。 お話ししたいのは、努力や投資あってこその収穫だということです。自分が満足できる結果を得るには努力するしかありません。「笹川杯」の道を歩んできたこの数年は、一歩ずつ、紆余曲折を経て、大きくも小さくもない夢を完成させてきた時間でもあります。「笹川杯」は、夢が遥か手の届かないものではないと、夢を信じる力をくれました。決意して物事に向かえば、世界が道を開いてくれることも信じています。 最後に、大会参加を支えてくれた家族に感謝したいと思います。と言うのは、参加ばかりを考えていて大学院入試の準備を放棄していても、責めないでくれたからです。育ててくださった先生方にも感謝します。在学中は日本語という言語だけでなく、多くの日本文化を理解することもできました。私を信頼して大会に参加する機会をくださったことにも感謝しています。また、手助けしてくれたチームリーダー2名にも、親切に回答を後押ししてくれた日本の友達や同窓のみんなにも、みんなみんな感謝しています。最後に、こうした大会の機会を下さった日本科学教会にも感謝します。とてもとても多くのことを学び、とてもとても成長することができました。本当にありがとうございました!

南京大学大学院2年 劉雅君(個人戦2位)

南京大学大学院2年 劉雅君(個人戦2位)

 (原文)はじめて笹川杯日本知識大会を知ったきっかけは、学部生二年のとき、先輩たちが参加したことからだ。そのとき先輩たちの準備内容を見て、なんと難しそうな問題なんだろうと感心した。そのときはまだ全国大会になっていなく、華東地区の大会だった。  2010年のとき、第一回全国笹川杯日本知識大会は南京大学で開かれ、はじめて身近に大会の雰囲気を感じ取った。先生のお手伝いをして大会の準備をしているうちに、自分もわくわくした。まるで、大会の緊張感とリズムに染められたような感じがした。  2012年、院生二年に入ったまもなく、笹川良一奨学金の受賞発表が行われた。全学で17人しか受賞できないこの奨学金に入選できて、自分自身も信じられないほどうれしかった。  そして、今年に入って、先生から「笹川杯日本知識大会に参加しますか」と聞かれたとき、考えもしなくて「はい、参加させてください」と答えたのだ。そのとき、まだぼんやりしたが、何か運命のような感じがした。  大会までの時間は余裕とはいえないので、早速本を借りて、勉強し始めた。個人戦に出るので、言語から文化、そして文学の内容も勉強しなくてはいけない。最初は、これほど多い内容は覚えられるかなと心配してたまらなかった。それに、地理が苦手な私にとって、概況は一番困難だった。私はこれで大丈夫かという心配はしばしば頭に浮かんだ。また、文学において、作家と作品の対応は頭を悩ませた。明治時代まではまだしも、平成に入ると、作家と作品の数が急に増えたような感じがして、そこが苦手だなあと不安だった。  でも、準備している間に、難しいことばかりではない。この前に知らなかった知識を知るのもうれしいことだ。例えば、「天智天皇が奪った大海人皇子の恋人は額田王だ」というクイズを見て、へえ、面白いね、偉い人たちも噂話あるんだと思いながら、歴史に近づいてきたような感じがした。また、「ドラえもんの耳はねずみに咬まれた」という内容を見て、へっ、そうなの、今までずっとドラえもんを見てきたのに、そこまでは知らなかったと面白みを帯びてきた。  あっという間に、大会の日になった。17日の準備会で60校が参加することを聞いて、さすがの大規模だと驚いて、笹川杯日本知識大会はますます盛大になったと感心した。18日と19日の大会でみんなの健闘ぶりを見て私自身にも励ましとなった。こんなに優秀な学生たちと一緒に参加できて、私も努力しなくちゃと思った。早押しの部分はコツを見つけなくて、一個も早押しできなくて少し残念だったが、記念すべき経験だと信じている。そもそも、大会をきっかけに、いろいろな知識を改めて整理し、新しい知識を身につけ、これまでない経験を積み重ねるのは何より甲斐のあることではないだろうか。  大会はわずか二日間で終わったが、私たちに与える経験と機会は終わっていない。この大会を新たな出発点として、日本に対する認識をいっそう深めることは大切だ。そして、笹川杯日本知識大会が行う目的は、中国の若者たちが日本に対する認識を深めさせ、中日友好関係を発展させるためだと思う。だから、私たち若者がそういう役目を担うべき、特に、私たち日本語を専攻とした学生にとって、その責任感はより大切になるのだ。このような交流はどんなときにも重要で、寄与できるものだと確信している。中日関係がよい中もちろんだが、いささかジグザグがあったときにも、このような文化交流はいっそう必要になるのだ。むしろ、そういう不順なときこそ、交流で困難を乗り越えるという文化交流の真の力が現れるのだ。

ハルピン工業大学大学院1年 孫琳(個人戦3位)

ハルピン工業大学大学院1年 孫琳(個人戦3位)

 (原文)今でも、大会の様子を思い出すと信じられない気持ちであった。準決勝でも、決勝戦でも、私も最後の紐を捉まって入ったのである。神様のご加護かもしれないが、こんなにたくさんの優れた学生たちと一緒に戦って、それに三等賞までもらえて、無上の光栄だと思っている。 初めて笹川杯知識大会を知るのは学部生4年生のときだった。そのとき、クラスから参加する選手を選んだが、私は自分の知識がまだ不足だと思って参加しなかった。そのときの大会に参加したクラスメートの話によると、問題がとても難しいが、いろいろ勉強になったそうで、私もこの試合に興味を持ち始めた。やがて、今年の大会の知らせを受けた。私は唯一の大学院生として選ばれ、今度こそ頑張って、大会の趣を体験してみようと思った。そして、私は初めて学校を代表し、ちゃんと準備しようと決心した。早速、私が自信満々で日本科学協会のホームページから、例年の問題を見た。答えてみたら、ショックだった。答えられるのはわずかのいくつだった。今でもはっきり覚えているのは、「青函トンネルの長さはどのぐらいあるだろう。」という問題である。これは日本人でもすべてわかるわけではないだろうと思った。しかし、参加することにした以上、頑張るしかなかった。中国では「书到用时方恨少。」という言葉があって、試合を準備する時、私がずっとそういう感じだった。 大学院生の課程はとても忙しくて、特に5月のとき、猫の手も借りたいのだ。しかし、忙しくても、疲れていても、私が大会に参加してよかったと思う。全国からの日本語学習者が集まって、日本の方もご臨席して、まるで盛大なパーティーのようだ。各地からの優れた学生さんが一生懸命努力している姿を見て、心から感心した。今度の大会を通し、新しい知識を身につけ、自分の視野を広げただけではなく、皆さんの日本語を勉強する熱意が感じられ、自分を励ました上で、中日間の友好関係の光も見えてきた。受賞したことはいうまでもなくとてもうれしいが、こういう活動自体があることで、中日間の交流を深めることも極めて重要だと思う。 言語を習っている学生にとって、両国の友好の橋をかけることは自分の使命であると考えている。私が日本に行ったことがあって、自分の目で日本を見て、自分も体で日本を感じて、日本人と接したのだ。そのとき、交流の大切さを自ら感じた。今度の大会が終わったが、中日間の交流は必ず終わっていない。両国間の友好関係を保つには、民衆間の理解を深めることは第一の任務だろう。だから、我々学生はまず自分からこういう友好の橋をかけて、自分の力を注いでいこうと思っている。

南京師範大学 日本語科4年 呂篠(個人戦3位)

南京師範大学 日本語科4年 呂篠(個人戦3位)

 (訳文)文化について、老舍先生の評論に「ある文化に生まれついた人は、その文化が何かを必ずしも知らない。水中の魚のように、水を飛び出さないとどのような水であったかを理解することはない」というものがあります。客観的に観察できる他者は、その文化で暮らす以外に味わう術がないため、僅かな美醜をもって文化全体の評価を決めつけてしまうことがよくあるというものです。「主人」である魚と「隣人」である他者が自らの属する文化と異文化を知ることも、同様に簡単なものではありません。幸いなことに、南京師範大学代表として2013年笹川杯全国大学生日本語知識クイズ大会に参加できて、「主人」にも「隣人」にもなることができました。 南京大学が主催した第一回笹川杯全国日本語知識クイズ大会で初めてこの大会に触れたとき、まだ二年生だったので参加できませんでしたが、先輩たちが真剣に準備する姿を目にして、自然と笹川杯に興味が湧きました。そして参加資格を得るのが待ち遠しくてわくわくしてきたのです。 そのチャンスがついに訪れました。2012年第二回全国大会が11月に中国人民大学で開催されると聞いて、矢も盾もたまらず申し込み、先輩から分厚い復習資料をお借りして、準備学習を始めたのです。しかし大会が無期限延期となってしまい、残念でたまりませんでした。民間交流まで中止になるとは。 みんなが大会は中止になったと思っていたのですが、2013年4月に思いがけず中国人民大学から招待状をもらい、感動しました。主催者側がここまで努力してイベントを進めてくれるのだから、参加する選手はもっと頑張らないといけません。しかし大会までわずか一ヶ月。それほど多くの資料は読み込めません。期待と不安でいっぱいになりながら、私たちはがんばって少しずつ復習をはじめました。 初夏の五月、熱い青春。北京を訪れた私たちは全国各地60大学からの参加者を前にプレッシャーを感じましたが、やる気も出ました。団体戦と個人戦の両方で二回戦を勝ち抜きましたが、団体戦では一問差で四位にとどまりました。チームメイト二人と先生の期待を背負って個人戦の決勝へ。団体戦でのミスから脱却しきれていなかったのか、個人戦の決勝でも同時回答問題ではあまりいい成績が出せませんでした。しかし気持ちを整えて背水の陣の思いで早押し問題へ。このコーナーでは知識を試されるだけでなく、プレッシャーにも直面します。積極的に遅れを取り戻す気持ちで臨まないと、日本へ視察旅行に参加できる最後のチャンスなのです。 「雪が溶け、雨上がりには山も草原も輝くばかりの緑に」、笹川杯全国大学生日本語知識クイズ大会は、参加準備に当たって選手が知識を豊かにするだけでなく、会場の観客も観戦を通して視野を広げ、日本文化をより深く理解できるものです。中日関係は数千年の風雨を経て、平坦ではない道のりを来ていますが、手を携えて歩いてきた数年間、私達の気持ちは変わっていません。すべての民間交流事業が今回大会のようにみんなの共同の努力でつつがなく行われ中日両国民の相互理解を深めれば、きっと一衣帯水の親密な関係であることを認識して、日中関係にも大きく貢献できるだろうと思います。 「青春の力で代々の友好を目指そう」。新世代の中国青年である私たちは、私達は祖国の未来だけでなく、望みと夢を背負っています。誠意をもって付き合い、心と心を伝える私達の努力で、中日関係はきっと花開く春を迎えられることでしょう。

中国人民大学桜花社元社長 2013年「笹川杯全国大学日本知識大会」スタッフ 羅旭彬

小さい力で世界を変える

中国人民大学桜花社元社長 2013年「笹川杯全国大学日本知識大会」スタッフ 羅旭彬

 (原文)「笹川杯全国大学日本知識大会」が閉会してから、もうすぐ一か月です。振り向くと、大会のスタッフとして経験した辛いことも喜ぶことも、最高の思い出になりました。その思い出の中で、一番の宝くじは自分の努力で物事を変わらせる満足感です。 「笹川杯全国大学日本知識大会」が人民大学に来る!最初にこのニュースを聞いたのは、2012年の5月でした。その時、「笹川杯」に対して全く了解もなく、先生の説明から大会の概況が分かってきました。 今回の「笹川杯全国大学日本知識大会」は全国何十校の大学から日本語専攻学生代表が人民大学に集まり、知識、反応力、日本語の対決を行う大会です。日本大使館、日本文化交流センターが応援してくれ、日本財団も協賛してくれます。主催は日本科学協会と中国人民大学外国語学院です。「つまり、中国人民大学日本語学部の学生たちはスタッフとしてこの規模の大会を支えるということです!」于先生の声はきっぱりした力を含んでいました。 正直に言うと、その時の気持ちはワクワクと心配、両方ともありました。ワクワクしているのは、全国の日本語専攻の学生と会えて、交流できるチャンスは、大学四年で一回しかない珍しいことだったこと。心配しているのは、私たちの力でこんな規模の大会を行うのは、大丈夫でしょうかということでした。 後は準備のことでした。先生はスタッフたちをいくつのチームに分けました。現場チーム、買い物チーム、連絡チーム、それぞれ忙しく準備していました。人民大学の大会代表チームを選抜するために、校内で宣伝して、応募者の11人を3回予備選抜を行って、最後に3名の代表選手による組む人民大学チームが結成しました。一方、「笹川杯全国大学日本知識大会」のルールは毎年変わることで、主催方がデザインしなければなりません。私たちと日本語学部の先生たちは、思案の日々を送っていました。各参加チームにステージに立って勝負するという感じを身につけさせるために、筆記試験をキャンセルしました。予選戦から決勝戦まで、全部ステージの上でやるプランを作りました。そのルールのバグを修正するために、何度もリハーサルしました。スタッフたちが一生懸命に準備すると同時に、日本語学部の先生たちは新たに結成したチームを特訓しました。日本文化、歴史、文学の知識を補強するため、選手たちは先生の指導の下で本を読んでいました。 忙しく準備していた途中、中日関係が急に悪化しまして、活動は中止されました。その時、領土の問題で日本に対する誤解を持つ中国人が多くて、私たち日本語を勉強している中国人の気持ちはとても複雑で、その中日両国の間に存在している誤解はまことに残念なことだと思いました。当時、私は中日交流するために創立された人民大学学生クラブ「桜花社」のスタッフも担当しておりますので、何かその政治的な誤解を緩和させて、中日両国の大学生たちのお互いの理解を含める活動をしようとしても、ただの学生クラブで行動するのは、影響力が弱すぎて、自分は一人学生の無力感がしました。 しかし人間万事塞翁が馬という熟語の通り、2013年「笹川杯全国大学日本知識大会」が再開されました。実に苦労した準備と比べると、二日間の大会はあっという間に終わりました。もちろん現場に小さなミスがありますが、全体的に無事終了しました。優勝チーム東華大学が笹川杯を持ち上げた時、私たちスタッフは涙が零れそうになり、拍手しました。 大会の後、人民中国と朝日新聞などの中日マスメディアは、今回の大会を民間交流の再開として高く評価してくださいました。私たちの努力はそんな偉い意味もあるかと、考えました。確かに一人の力が弱い。しかしその無力感に落ち込めば、どんなことでも失敗でしょう。人間は、世界を変えるものだ。一人は世界を変えれば変えるほど、人生がより一層有意義になります。ですので一人でも努力する、世界を変えるために。日本語を勉強している中国人は、中日関係の緩和に少しでも貢献が出来れば、光栄に限りないことです。

貴州大学大学院1年 馮婉貞(個人戦3位)

貴州大学大学院1年 馮婉貞(個人戦3位)

 (原文)たぶん学部生一年生の時、笹川杯日本知識大会ということを知った。その時、読解の先生が授業を休み、先輩たちを率いて知識大会に参加した。当時貴州大学は西南地方の唯一な学校として華東地区の大会に赴いた。数ヶ月しか日本語に接触しなかった私たちにとって、「おはよう」、「こんにちは」のような極めて簡単な挨拶を言い出すだけだ。その大会試験の内容の大きさ、幅の多さに私たちは遠く及ばなかったことが分かった。日本語を勉強するには、読解、会話、文法、発音など基本的な技巧を身に付けるほか、また多くの方面の知識を了解することが必要である。  そして、三年生の時、西南地区の笹川杯日本知識大会がとうとう貴州大学で行われることになった。選手たちの選抜がとても厳しかった。西南四省一市からの学校を貴州大学に集め、その盛大な大会を開いた。先輩たちのまじめな準備、選手たちの厳しい競争も痛感した。自分の知識がまだ十分でなく、把握しない知識がそんなに多かった。もっと多く本を読み、知識を吸収し、勉強する意欲も強くなった。もし将来自分もそのチャンスがあったら、ぜひ精一杯準備して、また自己の学んでいる成果をチェックしようとした。  去年四月今回中国人民大学が主催した大会に参加する選手を選抜することをした。学部生四年生であるが、試験免除できる院生になる私が幸運で当選し、とてもうれしかった。その同時に大きいストレスも付随して生じてきた。自分自身が緊張して、わくわくだ。当時、卒業論文、実習、七月全国日本語教師シンポジウムの準備に忙しくて、手が回らなかった。だが、余裕があったら、図書館で静かに本を読んで、インターネットで資料を調べ、先輩たちの用意した資料を借り、勉強し始めた。資料が多く、内容も豊富で、文学から地理、スポーツ、文化、歴史、言語学、政治まで各方面に関する知識点も重要だ。ようするに、日本と関係をもっていることに注意しなければならない。しかし、時間点、人名、地名などがそんなに暗記しにくいことだなあ。人間の記憶に周期があるように、数多くのことが暗記できたのに、二、三週間後、また忘れてしまった。それゆえに、多くの知識が反復暗記理解しなくてはならない。年齢のせいで、自分の記憶力を疑ったというおもしろいこともある。  残念ながら、ある不友好な事件で、予期去年10月に行う大会は延期する他なかった。後に期日がはっきりしなく、遅遅として決められなかった。試験の準備も怠けることになったが、私が学んでいる同時に断続的に準備した。とうとう五月に大会が行うことを知ってから、全国の60校の参加に緊張して、熱心な準備に夢中になった。18日と19日の何回の試合で、日本語を勉強している兄弟姉妹の姿を見て、彼たちの素晴らしさを痛感した。他人が台上に試合同時に、私が台下で答えを考えた。自分が身に付けた知識がまだまだ不十分で、もっと努力できるはずだと思った。このチャンスをきっかけに、他の学校の学生たちと交流できて、自分の経験も豊富にできる。また、そんな大規模な大会をわずか二日間の短期間で順調に開き、ほぼ異議や欠点が一点もなく、人民大学の効率さを深く感じている。同時に、先生たちと学生たちはみんな礼儀正しく、よい雰囲気をつくり、計画準備のまじめさ、苦労も了解できる。  2011年他の八校と一緒に日本に見学する機会があるのに、日本民衆に不幸をもたらした地震のため、取りやめになった。今回このチャンスを得て、ぜひ日本の真の面を体験し、自分の責任を負担しなければならない。中日両国は一衣帯水の隣国である。数千年の友好交流をもっていたが、数十年の不友好で両国は関係が微妙になり、この時交流の重要さがはっきりしている。責任感をもって、自分自身をはじめ、中日両国人民の相互理解を深めていくことが私たち目前一番の要事だと考えている。

中央財経大学 外国語学院 劉 文沁(入賞外)

-知識の力-

中央財経大学 外国語学院 劉 文沁(入賞外)

 (原文)大学生になってから、長い間に勉強することには全然興味なくて、なんでもほどほどに済めばいいと思っていた。笹川杯日本語知識大会に参加する資格を得た時、ようやく頑張る理由が見つかったからとてもうれしかった。博学な人になりたくて、勉強のことにはやる気満々だった。いろんな書類を集めて一気に読み取った、日本人の先生にも大量な知識を教えられた、各方面の知識をできるだけ覚えて、充実さの満ちる日々を過ごした。その時の感じは、日本の若者言葉で言うと、やはり「リア充」だった、勉強の楽しさに越したことはないと思う。  しかし、知識大会の当日はうまくいかなかった。周りの選手たちはみんな非常に優れている、星のようにまぶしかった。あの日、「天は勤勉な者に応える」という理を知った、自分の浅さも分かった。だから、知識大会で、知識を勉強したことだけでなく、人生の進路についても、いろいろ考えさせた。昔は将来何をするという問題を考えたことがなかった、でも、今回の大会で失敗したから、もっと勉強したくなった、大学院に行きたい、日本文学を専門として、もっと充実な学習生活を過ごしたい。  そして、知識大会にもう一つの感想がある。  今回のコンテストはもともと去年の10月に開く予定があったが、中日関係の原因で、今年に延期した。だから、両国関係にも様々な思いがわいてきた。中国と日本は一衣帯水の隣国で、仲よくして千年以上の時間を送ったが、戦争のせいで、理解し合わないことが多くなった、外交のピンチも時々出る。でも、今度の大会に参加できるのは、ありがたく思って、両国の人民の友情は隔てないと感じた。同じ空の下で、一緒に平和を守る、これこそ皆の望んでいることだと思う。中国と日本といえば、私の心の中に浮かべるのは、梅と桜で、ちょっと歌を作ってみた。  雪中で、梅と桜は、映えている、春を迎えて、花が咲く。  私は、両国が友好に戻れることに信じている、そして、この信念のために学問一途に頑張りたい、僅かな力でも、両国の平和と友情に貢献する。大会に参加してよかった、これからも、毎年の笹川杯日本語知識大会のことを注目する、文化の交流することと平和を守ることに努力している人たちに、心からありがとうと言いたい。

中国人民大学桜花社元社長 2013年「笹川杯全国大学日本知識大会」スタッフ 羅旭彬

小さい力で世界を変える

中国人民大学桜花社元社長 2013年「笹川杯全国大学日本知識大会」スタッフ 羅旭彬

 (原文)「笹川杯全国大学日本知識大会」が閉会してから、もうすぐ一か月です。振り向くと、大会のスタッフとして経験した辛いことも喜ぶことも、最高の思い出になりました。その思い出の中で、一番の宝くじは自分の努力で物事を変わらせる満足感です。 「笹川杯全国大学日本知識大会」が人民大学に来る!最初にこのニュースを聞いたのは、2012年の5月でした。その時、「笹川杯」に対して全く了解もなく、先生の説明から大会の概況が分かってきました。 今回の「笹川杯全国大学日本知識大会」は全国何十校の大学から日本語専攻学生代表が人民大学に集まり、知識、反応力、日本語の対決を行う大会です。日本大使館、日本文化交流センターが応援してくれ、日本財団も協賛してくれます。主催は日本科学協会と中国人民大学外国語学院です。「つまり、中国人民大学日本語学部の学生たちはスタッフとしてこの規模の大会を支えるということです!」于先生の声はきっぱりした力を含んでいました。 正直に言うと、その時の気持ちはワクワクと心配、両方ともありました。ワクワクしているのは、全国の日本語専攻の学生と会えて、交流できるチャンスは、大学四年で一回しかない珍しいことだったこと。心配しているのは、私たちの力でこんな規模の大会を行うのは、大丈夫でしょうかということでした。 後は準備のことでした。先生はスタッフたちをいくつのチームに分けました。現場チーム、買い物チーム、連絡チーム、それぞれ忙しく準備していました。人民大学の大会代表チームを選抜するために、校内で宣伝して、応募者の11人を3回予備選抜を行って、最後に3名の代表選手による組む人民大学チームが結成しました。一方、「笹川杯全国大学日本知識大会」のルールは毎年変わることで、主催方がデザインしなければなりません。私たちと日本語学部の先生たちは、思案の日々を送っていました。各参加チームにステージに立って勝負するという感じを身につけさせるために、筆記試験をキャンセルしました。予選戦から決勝戦まで、全部ステージの上でやるプランを作りました。そのルールのバグを修正するために、何度もリハーサルしました。スタッフたちが一生懸命に準備すると同時に、日本語学部の先生たちは新たに結成したチームを特訓しました。日本文化、歴史、文学の知識を補強するため、選手たちは先生の指導の下で本を読んでいました。 忙しく準備していた途中、中日関係が急に悪化しまして、活動は中止されました。その時、領土の問題で日本に対する誤解を持つ中国人が多くて、私たち日本語を勉強している中国人の気持ちはとても複雑で、その中日両国の間に存在している誤解はまことに残念なことだと思いました。当時、私は中日交流するために創立された人民大学学生クラブ「桜花社」のスタッフも担当しておりますので、何かその政治的な誤解を緩和させて、中日両国の大学生たちのお互いの理解を含める活動をしようとしても、ただの学生クラブで行動するのは、影響力が弱すぎて、自分は一人学生の無力感がしました。 しかし人間万事塞翁が馬という熟語の通り、2013年「笹川杯全国大学日本知識大会」が再開されました。実に苦労した準備と比べると、二日間の大会はあっという間に終わりました。もちろん現場に小さなミスがありますが、全体的に無事終了しました。優勝チーム東華大学が笹川杯を持ち上げた時、私たちスタッフは涙が零れそうになり、拍手しました。 大会の後、人民中国と朝日新聞などの中日マスメディアは、今回の大会を民間交流の再開として高く評価してくださいました。私たちの努力はそんな偉い意味もあるかと、考えました。確かに一人の力が弱い。しかしその無力感に落ち込めば、どんなことでも失敗でしょう。人間は、世界を変えるものだ。一人は世界を変えれば変えるほど、人生がより一層有意義になります。ですので一人でも努力する、世界を変えるために。日本語を勉強している中国人は、中日関係の緩和に少しでも貢献が出来れば、光栄に限りないことです。

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