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公益財団法人 日本科学協会

日中未来共創プロジェクト

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活用者からの声

中国の大学からの声 2016

※原文が日本語の声は、原文を尊重して手を加えず掲載しました。
原文が中国語の声は、原文に忠実に和訳して掲載しました。

日本語原文

中国伝媒大学外国語学院翻訳専攻院生修士1年 李桂軍

中国伝媒大学外国語学院翻訳専攻院生修士1年 李桂軍

 日本科学協会から中国伝媒大学図書館に蔵書を寄贈してもらうことに誠にありがとうございます。ご協会のおかげで、日本語学部の私は、その多くの日本語原文の書籍が拝見できます。書籍の分野は広くて、冊数も多いです。日本語専攻の私たちにとって、日本の文化、科学、文学などの著作をそのままに読んで、吟味して、とても重要な役割を果たします。そのうち、一番印象深いのは吉永春子の『七三一』という書籍です。中国の資料だけでなく、この書籍を通じて、で、七三一部隊に関する日本の資料を読んで、七三一部隊をより詳しく、全面的に分かり、その時の日本国民と元隊員などの態度が明らかになり、中国にも、日本にも、非常に珍しい資料だと思います。それに、歴史教育にも意味深いです。従って、日本科学協会が寄贈してくださった書籍がなければ、以上のような役割がないんです。日本語学部の学生を代表して、再び感謝の意を表しております。

中国伝媒大学外国語学院翻訳専攻院生修士1年 于淼

中国伝媒大学外国語学院翻訳専攻院生修士1年 于淼

 日本科学協会様、
中国伝媒大学図書館に多くの本を御寄贈いただき、誠にありがとうございます。 入学してから、先生の紹介で、図書館には日本の書籍があることは知りました。以前の自分は文学関係の日本書籍しか読んだことはなかったですが、伝媒大学の図書館では日本文化、歴史の本だけではなく、メデイア関係の日本書籍があることに驚きました。院生の段階になって、日本語だけでなく、日本の文化など様々な知識をマスターし、さらに研究を進める必要があります。また、せっかく伝媒大学に入ったので、通訳だけでなく、日本のメデイア業界について勉強したいと思って、図書館の日本書籍は大変役に立ちました。本を読むことによって、日本への理解も深くなり、視野も広くなったと感じました。
最近、図書館にある東京電機大学出版局出版した「メディアは大震災·原発事故をどう語ったか : 報道·ネット·ドキュメンタリーを検証する」という本を読みました。世界でも知られた東日本大震災が発生したとき、大地震・津波・原発事故により広範囲にわたって被害がもたらされ、メディア自体も被災した状況で、未曽有の災害はどう報じられたかを検証する本です。その中にはテレビ・新聞等の既存メディアとネット・ソーシャルメディアとの連携、被災者自身による情報発信、原発事故報道のあり方、「報道」がもたらす社会への影響と今後のあり方などを紹介しました。非常に勉強になりました。
図書館の本は将来の論文を作成する時にいい参考資料になると思いますので、本当にありがとうございました。

中国伝媒大学外国語学院翻訳専攻院生修士1年 魯琪

魯琪

 日本科学協会様
拝啓 早春の候、貴協会いよいよご清栄のこととお喜び申し上げます。
中国伝媒大学の一員として、私は心から謝意を述べさせていただきます。貴協会が図書館に寄付した日本語図書は、私みたいな日本語科の学生だけでなく、日本の文化や文学に興味がある読者たちにいいチャンスを与えていました。これらの図書は私たちが日本に触れる重要なルートです。貴協会の寄付は実際な援助だけではありません。さらに、私たちの感激のこころをもって社会に報いることを促しています。
  私は日本語科の学生なので、暇な時、よく日本語の小説を読んでいます。論文を書く時も、これらの図書は参考資料になれます。貴協会が寄付した図書は私たちに便利を届けました。もともと、中国では日本語図書を手に入れることは難しいし、その価額も大変だし、図書を寄付した貴協会はまさに雪中に炭を送るように、ちょうどよい時に援助を与えました。改めて、心より感謝申し上げます。
                    敬具

贵州大学外国語学院日本語学部 4年 刘璐

贵州大学外国語学院日本語学部 4年 刘璐

 尊敬する日本財団の皆様:
 私は劉璐と申します。貴州大学外国語学院の学生です。週に二回から四回まで学校の図書館の日本語書庫へ勉強に行きます。その習慣とともに四年の大学生活を送って来ました。そのうちに本の広い海で習ったり多くの学者と「交流」したり、大変成長しました。三年生の時に日本文化の分野を選びました。文化に関する本はいっぱいあるので、授業以外の時間を利用し、古代や近世や現代などの歴史本を読みました。自分の知識の面が広くなりました。
 そのような尊いチャンスをくださって、ずっと大切にしております。ここで財団の皆様にご感謝の意を衷心に申し上げます。未来日本へ行ったらもっと日本の文化を勉強します。中日友好関係のために薄い力を尽くそうと思います。

山東大学(威海)日本語科3年 赵婉颖

山東大学(威海)日本語科3年 赵婉颖

 私は子供の時から、いろいろな本に興味を持っています。そして読書を通じて、展開していく新しい世界を体験することができます。本は人間にとっては、知恵の結晶だけでなく、進歩の階段でもあると思います。
大学に入った後,貴協会のおかげで、日本の本を読む機会が多くなりました。それに、日本についていろいろ勉強して、さまざまな物語を読みました。東野圭吾や村上春樹など、数多くの有名な作家の作品を拝読しました。例えば、《祈りの幕が下りる時》という小説を読んで、人間の恨みや温情に対してもっと深く理解できました。宮沢賢治の童話を読んで、無邪気な子供の世界に一段と憧れるようになりました。川端康成の筆を通して独特な日本の美を味わえるし、芥川龍之介の『羅生門』によって人間性のエゴというものも見えます。もちろん、文学作品以外の分野の本、文学、医学、物理、化学、歴史、法律、政治、科学技術など、たくさん読んでいます。
これらがすべて日本科学協会から寄贈していただいた本です。私たち幸いなことに日本語ができ、まさにそれを媒介として直接の文化交流を体験しております。これらの本を通じて、私たちは日本に対しより一層の理解が深まっていくでしょう。「ありがとう」を言っただけでは感謝の気持ちを十分に表わせるわけではないが、やはり言わないわけにはいきません。いろいろな日本語の本をご寄贈いただき、誠にありがとうございました。
友情が末永く続きますよう祈念しております。

吉林大学珠海学院图书馆 罗金姗

吉林大学珠海学院图书馆 罗金姗

 ご寄贈された日本語原板図書を見て、本学の教員、学生が日本の社会、経済、文化、歴史、地理等の方面から日本への理解を一層深き、日本語教育にも役たち、誠にありがとうございます。本学の日本語学科チームは豊かな知識と素敵な表現で<笹川杯全国大学日本知識大会2016>に「団体戦、第1位」の成績をとりました。日本知識大会は、本学の教員、学生が豊富な知識を身に付け,自分自身をアピールする舞台のチャンスを提供し、中日の交流にとってもとても有意義なことだと思っていす。

吉林大学珠海学院图书馆 黄松花

吉林大学珠海学院图书馆 黄松花

 日本科学協会から豊かな日本語原版読書を無償寄贈されて心から感謝しています。寄贈いただいた図書には、社会や文学だけでなく、歴史、医学、教育、経済、日本の学者の研究などの分野の図書も含まれていて、日本の社会や文化や歴史など深く理解でき、本学の日本語学科の教員や学生の中にもとても人気です。

中国海洋大学外国語学院 日本語科3年 張琦

中国海洋大学外国語学院 日本語科3年 張琦

私は図書館で本の整理の仕事を担当させていただいています。今回、貴会からたくさんの本をいただいて、心から感謝の意を表したいと思います。私は幼い頃から、アニメや漫画の影響で、日本に興味を持ち続けてきました。以前から、日本は本が好きな国だと聞いています。私も本を読むのが大好きです。春節の時、日本に観光に行きました。電車の中で、本を読む人の場面に感心しました。日本は本当に本のことが好きだなと改めて確認しました。私は本を読むのが好きだが、残念ながら、うちの大学の図書館はあまり日本の本がありませんでした。ですから、貴会からたくさん日本語原版の本を頂いて、本当に有り難いことです。それに、著書だけではなく、いろんな種類の本があります。本の好きな学生にとって、本当に幸せなことだと思います。これからはこれらの本を活かして、日本のことを一層理解したいと思います。

中国海洋大学日语 高欢

中国海洋大学日语 高欢

 日本からたくさんの本をいただいて、誠に感謝いたします。日本語学科の私たちにとって、日本語原版は宝物のようなものだと言っても過言ではありません。なぜなら、原版の本を読むのは留学以外、日本の文化や情報を直接に手に入れる方法だと思われます。その本によって、かつて知らなかった日本の姿を改めて発見できるかもしれません。そして、日本文化についての理解もきっと更に深めていくようになります。中日友好関係に大変役に立つと考えられます。これから、私たち必ずその本を十分に利用して、自分の日本語レーベルをアップして、中日交流の橋となって、ご恩に報いると思います。最後、再び心から感謝の意を表したいと存じます。今後もよろしくお願いいたします。

天津外国語大学大学院2年 伍開朗

天津外国語大学大学院2年 伍開朗

 まず、貴協会からたくさんの日本語原版図書をいただきまして、心より感謝の気持ちを申し上げたいと思います。子供のごろ、日本のアニメウルトラマンに夢中になって、友達と一緒に見る思い出はいまでも時々浮かべ上がります。私は初めて日本語と出会ったのもその時でした。時の流れにつれて、日本語に対する興味がだんだん深くなってきますので、自らの心に従って日本語を大学の専門にしました。その時、「日本語を勉強する方法とアプローチはなんですか」と聞かれたら、「日本のドラマはその一つだ」と私は答えました。今であれば、私は「日本語原版の図書もいい方法だ」と勧めます。はじめて日本語原版の図書と接触したのは大学三年の後半でした。卒業論文の準備をしたかったので、図書館に日本語原版の図書を探しに行きました。その本は堀辰雄の『風立ちぬ』でした。なぜこの本を選んだかというと、卒論の指導先生が日本文学の専攻で、それに、当時宮崎駿監督の同名映画『風立ちぬ』は国内で大歓迎だったからです。後ネットで調べたうえ、この映画は同名小説を基にして撮られたことが分かりました。先生のご指導で私は順調に卒論を書き上げました。黄岡師範学院から卒業した後で、図書館の日本語原版図書はほとんど貴協会がご寄贈くださったことを先生から聞きました。時間の経つのはじつにはやかったです。卒業して天津外国語大学大学院に入ってから今年もう2年目です。研究方向は日本近現代文学作品です。この2年間、堀辰雄の作品だけではなく、国木田独歩、梶井基次郎、村上春樹らの作品をも読みました。作品の中から日本の姿が見えます。しかも、文字によって作家当時の感情や当時の社会背景を味わえます。貴協会のおかげで、日本文学に深い縁をつけました。改めてお礼を申し上げます。ありがとうございます。しかし、学校の面積は小さいので、図書館の蔵書空間も限られています。とくに、図書館には年代の古い本がたくさんあります。もっと最新の図書を探すのがなかなか難しいです。今後、図書館で貴協会ご寄贈くださった平成28年度芥川賞の受賞作品を読むことができれば大変嬉しいと思います。

天津外国語大学図書館 蓋宇坤

天津外国語大学図書館 蓋宇坤

 私は天津外国語大学図書館の館員で、日本科学協会からの寄贈図書の一連の連絡と日本語図書目録の編纂を担当している者です。当館は設立以来、日本の個人と団体からの寄贈図書を大量に受け入れ、日本語蔵書が豊かになるとともに、中日の文化交流も促されています。
まず、2014年の初めに受け入れを始めて以来、日本科学協会からの寄贈図書の価値を十分現わすため、当館では取り扱い専任者を置き、CALISの日本語目録作成研修にも参加させました。また、速やかに登録、審査、分類、目録作成、加工を行い、できるだけ早く読者の目に触れさせられるようになっています。そして、当館では寄贈図書を重視し、専門の書架を設けて教員や学生に開放しております。保護のため、一部の寄贈図書は館内閲覧のみにし、館外貸出は行っていません。図書の内容を詳しく読みたい場合は館内でコピーできます。
 次に、日本科学協会からの寄贈図書の種類には政治、法律、心理、言語、文学、芸術、歴史、地理、数理科学などがあります。内容が幅広く、学術的なものと実用的なものが両方あり、さまざまなレベルの読者ニーズを満足できます。しかし日本語原文の専門書はあまり読まれていないことも分かりました。理由を突き詰めると主に以下のとおりです。第一に、図書が全体的に古く、時代遅れのものもあります。第二に、セット本が不完全なこと。シリーズの一冊が欠けている問題がよく見られます。第三に、書籍は大衆性が強く、専門性と学術性に不足が見られます。分野の幅は広く装丁は立派ですが、学術的価値は普通です。日本語専攻の読者にとっては学習や研究のニーズに適応することができていません。今後は学科の需要に応じて蔵書を充実していただけるよう望んでおります。失礼な点についてはお目こぼしくださいませ。
最後に、日本科学協会各位の長年に渡るご支持ご協力に感謝しております。この場をお借りして本学の教員、学生一同を代表し感謝を申し上げます。貴協会の事業が盛んになりますように。

東北師範大学図書館 許真玉

東北師範大学図書館 許真玉

 私は東北師範大学図書館の許真玉と申します。我が大学は2015年9月に日本科学協会の顧文君、宮内孝子と中国教育図書進出口有限公司の郭亚玲を迎え、正式的に日本科学協会から図書を受けるようになりました。そのなかで私は具体的に 三方の連絡のことを責任し、今まで96件29984条の図書寄贈目録を受け、51件18529条の目録を選択し、25件11109条の目録のタイトルを翻訳し、2件1308册の図書を整理して我が大学の図書館日本語閲覧室に置けるようになりました。我が大学の日本語図書は12万册ですが、古い図書が多くで利用する読者は少ないです。日本科学協会が寄贈した図書は2012年以後出版した図書で当代の日本を了解するに意味があるとおもいます。また図書の内容は文学、歴史、地理、科学、社會、百科など様々な学科を含めていて、我が大学の図書館蔵書を豊富するだけではなく、学者と学生たちの研究の資料としても大きな役を立つと思います。 ここで特にこのコースで黙々と努力している日本科学協会の坂井広美、寺澤郁美と中国教育図書進出口有限公司の王瑱、我が大学図書館の斉巍に感謝の意を表します。

武漢大学図書館 資源組織部 亢燁

武漢大学図書館 資源組織部 亢燁

 日本科学協会から寄贈していただいた図書は当館の日本語蔵書を益々充実させ、専門は農業、経済、地理、人文、社会、医学、歴史などほぼ全てを網羅しています。これによって日本語専攻に限らず、他学科の学生と教員にとっても大変参考になっています。豊かになった日本語文献によって、中日の相違点を比較しながら、知識を吸収し学業を高めることができて本当に素晴らしいことではないかと思います。中国と日本は一衣帯水の隣国で、古代から現在にいたるまで長期にわたって文化交流を行なってきたが、両国間の異文化を味わうことが出来るのは極めて面白いので、本館は教員や、学生や、また一般市民など大勢の人々が寄贈図書を利用し、本を読むことを通じて中日文化の関わりに気付き、相違点を理解し、それはこれからの両国の文化交流などを増進する力になるだろうと考えております。
当館はこの場をお借りして、本学の教員、学生一同を代表し感謝を申し上げます。

武漢大学図書館 黄莉

武漢大学図書館 黄莉

 2015年から日本科学協会からご寄贈頂いた日本語図書の選定に従いまして、200以上のブックリストを読み、約21万冊を選定しました。選択の原則としては、図書館情報学の資料を全部必要として、日本の文化、歴史、現実などの特徴を反映した本をなるべく選択しました。現在科学技術の発展が速いため、最新の理工学書や雑誌などの利用価値はあまりないと思っております。ご寄贈先から見ると、大型企業の研究所や知名の作家など名人からご寄贈頂いた図書の利用価値は高く、県立高等学校図書館や漫画などを主な出版物の出版社からご寄贈頂いた図書は本学に適しておりません。現職の仕事も忙しいため、本学外国語学院の日本語学科教員や修士達も寄贈図書の選定に参加しましたが、頂いた寄贈図書からみると、本館の選択原則と一致していないものも見えます。今後、日本国内での出版物に関する参考情報もご提供頂き、本学に利用価値の高い図書を選択できるようにお願いいたします。

中国語原文

北京大学図書館 資源建設部 力恺

交流の促進、理解の増進  2016年の本学に対する日本科学協会の図書寄贈事業

北京大学図書館 資源建設部 力恺

2016年が過ぎ去り、振りかえってみると実り多い一年でした。本学が2012年4月に日本科学協会の寄贈先になって以来、これまでに贈られた書籍は1686種類/2073冊に達しています。数量こそそれほどではなくとも、本学の日本語蔵書を強力に補ってくれています。特に寄贈図書の目録には絶版書やシリーズもの、叢書の欠けていた巻が多く、こうした文献は通常のルートで入手することが難しいのですが、他の寄贈元からは受動的に受け入れるばかりで選択の余地も限られています。ゆえに貴協会の「教育・研究図書有効活用プロジェクト」は中国の大学図書館にとって非常に貴重な文献入手源なのです。しかも近年は貴協会の図書寄贈事業が一部の出版社にまで広がり新書も頂けるようになって、寄贈図書の内容がいっそう豊かになっています。貴協会がより多くの優れた出版社を開拓し中国の大学図書館への図書寄贈事業に加えていき、最新の日本の文献をもっとたくさん中国にくださることも期待しております。
当館が所蔵する貴協会の寄贈図書をざっと見るに、全体的な利用情況は良好です。このうち貸出件数が多めなのは文学、政治、哲学関係の本です。すべての寄贈図書で貸し出し回数が最も多いのは東野圭吾の『容疑者Xの献身』であることから、日本のいま流行している文学作品が人気であることが分かります。ランキングの第2位は安倍晋三首相の『美しい国へ』で、日本の政治も読者の関心を集めていることが現れています。今後も引き続き文学、政治、哲学、歴史、経済などの方面の日本語文献で貴会のご支持が頂けるよう希望しております。
絶えず中国の大学に本を贈り続けながら、貴協会が上海交通大学と共同開催された第1回「本で味わう日本」作文コンクールは、寄贈図書が読書活動と結びつき、革新的なイベントでした。この作文コンクールで意外だったのは、日本語専攻の学生が主体ではなく、所属学科が日本研究にまるで関係ない学生が多かったことです。しかし投稿作品に見られた学生たちが日本文化を読みあさる幅の広さと深さは予想を超えており心が奮い立ちました。中日両国の二千年余りの往来を見渡すと、古くは漢籍が日本へ渡り、近現代は日本から自然科学と社会科学の書籍が大量に中国へ渡っています。両国の文化交流史の中で、書物での交流はずっと盛んです。中日関係が暖かかったり寒かったりする中でこの活動を守ってくださっている日本科学協会の皆様に感謝いたします。今後とも共に中日間の文化交流を進め、相互理解を促し、中日友好のために尽力させてください。

雲南大学2014年度入学の日本語専攻学生一同

寄贈図書の感想

雲南大学2014年度入学の日本語専攻学生一同

雲南大学2014年入学の日本語専攻の学生です。これまで本学に図書をご寄贈いただいてきたことにとても感謝しております。これほどたくさんの日本語の書籍を頂けて、限りない感謝で心がいっぱいです。
老子に「富貴なる者は人を送るに財を以てし仁人は人を送るに言を以てす」という言葉があります。貴協会から贈られた本は日本語の学習者や日本文学の愛好者にとって莫大な精神的富です。雲南省は地理環境の上でもともと日本と遠く隔たっているため、日本との交流も少ないほうです。雲南大学図書館が貴協会から頂いた本のおかげで、日本の文化、風習、習慣などを理解する機会が増えました。同時に、最新の小説や散文類の書籍と有名な作家の文章が頂けないかと希望しております。そうした本から最新の情報を知り、最大限に日本を理解できるようになりたいのです。
前学期から、私たちは図書館での日本語書籍の整理を手伝うようになり、さまざまな種類の日本語書籍に触れる機会ができて、多くの側面から日本を知り、理解できるようになりました。日本語と日本の文化に対する好感がさらに増しています。
私たちは図書館がこれらの日本語書籍を利用して強力な日本語文献書庫を築くのを助け、日本語と日本の文学を心から愛する人たちに豊富な資源を提供していきます。貴協会から頂いた本に対して自分たちができるのはすぐ行動することだけですが、きちんと管理しきちんと利用してこそ十分にその作用が得られるものと考えています。 貴協会から頂いた本には本当にとても感謝しております。今後もたくさんの本を下さい。しっかりと活用して、改めて誠実な感謝で応えます。

南京大学図書館 趙婧

激励と感謝

南京大学図書館 趙婧

南京大学仙林キャンパス杜厦図書館の日本文庫ができて3年が経ちました。日本語の蔵書が少しずつ豊かになってきて、学生達が書架の間を行き来して一心に本を探し読む姿を見るにつけ、内心は感慨ひとしおです。
杜厦図書館が開放されて間もなく、蔵書の配分をいっそう合理化して大規模にしようと館内レイアウトを見直すことになり、仙林キャンパス杜厦図書館の日本語書籍と鼓楼キャンパスの日本語書籍をまとめて鼓楼キャンパス図書館の1フロア丸ごとを日本語書籍専用にする計画が出ました。実現していたら、華東地区で最大規模の日本語所蔵数だったかもしれません。しかしその知らせが出るなり本学のBBS上で大きなブームが起き、仙林キャンパスの学生たちが続々と同地の日本語蔵書を残してくれと図書館に求める書き込みをしたのです。こうした知識の宝庫からは誰も離れたくないと。この件に関するスレッドはBBSの注目度トップ3に入りました。日本語系の学生だけでなく、日本語学習の愛好者や日本に関する学術研究をしている教員や学生からの書き込みもありました。こうした教員や学生の訴えを目にした図書館の上層部が、仙林と鼓楼の両キャンパスにある日本語蔵書を残すだけでなく、仙林キャンパス杜厦図書館の日本語書籍を他言語の蔵書と分け、杜厦図書館2階を丸ごと日本語書籍専用にして利用者の便宜を図ったのが仙林キャンパス杜厦図書館の日本文庫の由来です。
この出来事でとても心を打たれたのは、学生たちがいかに日本語書籍を必要とし愛しているかだけではなく、日本科学協会の図書寄贈事業が教員や学生の助けになっているからです。知識の伝播が切に感じられました。
公益財団法人日本科学協会による中国への図書寄贈は長く続いている事業で、その範囲の広さには敬服させられます。こういった人々が、この世界をよりよくするために努力して貢献を続けてくれているおかげで、より多くの人が助けを得られると同時に愛と励みを感じられるようになり、その貢献の心、平和に対する希望が伝わっていくのです。

武漢大学情報管理学院 周璟

本の中の日本という国

武漢大学情報管理学院 周璟

「書籍の取得には寄贈や交換という経路もあります。本学図書館は書籍を所蔵する他の機関と良好な交流関係を築き、多くの寄贈を受けてきました。寄贈図書は蔵書の重要な構成部分となっています。」図書館学専攻の一員として、先生の引率で本学図書館の資源構成部を見学したとき、ある図書館員が図書館内部の資源構成作業の流れを照会してくれました。「特に日本科学協会からは千冊以上も質の高い書籍を頂いています。」先生の解説を聞きながら、うずたかく積み重ねられた日本語の書籍を興味深くめくってみると、至宝を手に入れたかのようでした。
五十音図から『学ぼう!にほんご 初中級』まで、子供が言葉を覚えるときのように片言で言葉の読み方を口にするもの、ひらがなやカタカナがふってあるものから、日本語の日常的な言葉が使えるものまで、日本語学習の書籍は日本の文書を音符に変えて耳元に漂わせます。あっという間に歌が詠まれ、抑揚や間の変化がある日本語の音節は簡単で、全体的に感じられるリズムの音律の美しさ(俳句)は、さわやかな風の吹く月夜の清酒のように芳醇な後味を残し、わざとらしく大阪方言と東京方言を区別できることもありました。暇なときに『漢和辞典』をめくると、無意識のうち美感のある日本語の語彙に注意が行きます。日本の文字のプロポーションは漢字と少し異なっています。漢字は形と意味が直結しており、四角い文字が止め跳ね払いで起承転結を見せています。日本語の文字も広く奥深い中国語から源を発していますが、日本語は漢字の昔の風俗習慣を留めつつ、気づかないほどのイメージをきめ細かく再編しており、典雅で柔和な美感を与えるのです。例えば和風(おだやかな風、微風)、何が無し(なんとなく、ともかく)などです。思うに、日本語の美しさは決して日本語そのものにはなく、情景と語調により含まれ、触れたときの微妙な気持ちにあります。色とりどりの和服をまといきれいに化粧した京都のおばあさんが文末を持ち上げて引っ張る調子が私は好きで、歌姫が進み出て深々と一礼してからゆっくりと口に出す前置きも、日本語そのものと同様にやさしくて力強さがあり好きです。

蘭州大学図書館文献採用編成部

蘭州大学図書館の寄贈を受けた日本語文献に関する管理とサービスの状況について

尊敬する日本科学協会の皆様 まず、貴協会の皆様の働きと惜しみない寄贈に心から感謝を申し上げます。蘭州大学図書館は貴協会の図書寄贈計画では第六弾に入る寄贈先で、2010年からこれまでに19回45700冊余りの文献を頂いてきました。内容は幅広く、主に歴史、軍事、哲学、政治、文学、経済などの社会科学類の書籍が含まれており、当館の蔵書がたいへん豊かになりました。
2010年に受け入れを始めて以来、頂いた書籍は心を込めて加工整理しサービスに提供しております。頂いた書籍の価値をすみやかに体現させるべく、日本語のバックグラウンドを持つ目録編纂担当がいない中で2名を本学の外国語学院日本語系に派遣して日本語を学ばせ、CALISの日本語目録編纂研修にも参加させました。その上で当館に日本語文献センターを開設しています。同センターは現在日本語文献4万冊余りを所蔵でき、当館に日本語資料書庫のない時代が終わりました。貴重な日本語文献資源を本学の教員および学生に提供しております。現在これらのご寄贈いただいた日本語文献に続々と目録を編纂して入庫し、オンライン図書目録検索と開架での閲覧サービスを提供
日本語文献の管理とサービスについて関係する教員および学生の意見を集めた結果を以下で回答いたします。業務上の不足や漏れについてはご指摘ください。
謹んで2017年が良い年でありますようお祈りいたしております。

蘭州大学図書館 常進先生

蘭州大学図書館 常進先生

当館は2010年から日本科学協会の寄贈図書を受け入れており、これまでの合計で4万冊余りを頂いております。当館の日本語文献資源が豊かになっただけでなく、中日文化交流が非常に進んでおります。当館ではこれらの寄贈図書を重視し続けており、専門のスタッフによる整理と目録編纂を行って「蘭州大学日本語文献センター」を開設し、頂いた文献を独立した閲覧室に配架しております。将来は蘭州、ひいては北西地域最大の日本語文献センターとなることでしょう。
採用編成部の一員としてこの業務に関われることを光栄に思っております。この業務をよりよく進めていくためひとつ質問いたします。交流できればと希望しております。
自然科学類の資源を増やせないでしょうか。
現在の寄贈図書は多くが社会科学類で一般的な読み物がやや多くなっております。貴国には自然科学の多くの分野で際立った功績があり、たとえば医学生理学分野では2012年に山中伸弥先生、2015年に大村智先生、2016年に大隅良典先生がノーベル賞を受賞されています。自然科学類の資源を増やし、本学の化学および医学の重点研究室にいる研究者にサービスできることを希望いたします。
最後に改めて、当館へのご寄贈に感謝を申し上げます。これらの貴重な資源に最大限の価値を発揮してもらえるよう引き続き努力してまいります。

蘭州大学 劉亜亜

蘭州大学 劉亜亜

書籍の種類は比較的豊富で、印刷がとても精巧で美しく、漫画などのカジュアルな書籍は教員や学生に広く人気です。主な問題は大部分の図書がやや古いことと、関連学科が少ないことです(蔵書は主に人文関連に集中しており、科学技術関連が少ないのです)。日本語蔵書の学科配置をさらに広げて、より教員や学生のニーズを満たしていただけたらと希望しています。

蘭州大学 安鵬

蘭州大学 安鵬

蔵書は数が多く、挿し絵も豊富です。読んでいるうちにさまざまな知識を増やせるので、課外生活が豊かになっています。存在している主な問題は1.多学科、特に理工科の本が少ないこと。2.図書の出版年代がやや古く、時代にあまりマッチしていないこと。この両方がもっと改善されると、より教員や学生の役に立てると思います。

井岡山大学 朱丹

井岡山大学 朱丹

 まず、あなた方の愛の行動に対する私たち教員・学生全員からの心からの感謝と敬慕の気持ちを受け止めてください。あなた方が惜しみなく愛を込めて本を寄贈してくださったことは、私たち学生がより広大な読書の天地を得られただけでなく、本学図書館の蔵書が豊かになり、より多くの必要とする人々に便宜を提供できています。本は人類が進歩するための階段であり、本は無数な人の夢を載せています。あなた方の愛ある行動で数えきれない人の夢が救われました。この惜しみない義挙には本当に敬服します。あなた方という愛ある人々があってこそ、私たちは気兼ねなく自分の夢を追求することができます。本を寄付して勉学を援助し、教育と学生を思いやることは、あなた方の崇高な社会的責任感の現れでもあります。惜しみなく本をご寄贈いただいたからには、きっと自分を鍛え磨いて前進し、社会に報います。最後に改めて感謝の気持ちを申し上げます。バラを贈った人の手には残り香が漂います。皆様が健康で、お仕事が順調に進みご家族ともども幸福に過ごされますように。

井岡山大学日本語専攻3年 赖子玲

井岡山大学日本語専攻3年 赖子玲

 日本語専攻の3年生です。学びと生活の中で皆様からご寄贈いただいた本に助けられており、とても感謝しています。3年次になると専門科目の占める時間が大幅に短くなり、余暇時間に教材以外の読み物で自分の学習の範囲を開拓し豊かにしていきたいものです。社会各界からご寄贈いただいた本は種類が豊富で、文学、科学、社会哲学といった各分野に関わっており、私たち学生は書籍に対するニーズが満たせるだけでなく、これらの本を通じて世界をもうひと回り深く理解することができるので、まさに古くからある「万巻の書を読んで、万里を行く」という言葉に応えています。その上、図書館でさまざまな専門に関係する書籍に触れることもできて、私達の学習の中で出会う困難に対する疑問が解決できるので、私達の学習が段階を上る助けにもなっています。
この胸の感激は言葉では尽くせません。努力を倍増して自分を激励し、知識を力に変えてより良い自分に成長することしかできませんが、将来は他の人を助けられる人になろうと思います。これを目標に、困難や障害を乗り越えて、前に進み続けます。

黄岡師範学院日本語学科2年 高熳

黄岡師範学院日本語学科2年 高熳

 日本語資料室は日本語専攻や日本の文化に興味を持つ学生にとって非常に価値が大きい存在です。授業の余暇の時間に日本の社会、経済、文化など各方面を理解する機会が得られています。また、その中の書籍にざっと目を通してみると、マンガから大家の名作まであり、多くの学生読者の需要を満足できています。視野が広がると同時に、日本語の原書はさらに読む学習の能力を高めてくれるので、とても有益です。

黄岡師範学院日本語学科2年 徐夢婷

黄岡師範学院日本語学科2年 徐夢婷

 日本語と日本文化に対して特に興味があるので、毎週のように日本語資料室で本を借りています。日本語の資料室に立ち入って、整然と並び部類ごとに分けられた日本語の書籍を目にするたび、気分まで良くなってきます。資料室の書籍はそれほど多くはありませんが、日本語を初めて学ぶ私にはとても満足です。大学での課外時間は比較的多く、教材に頼ってだけ日本語を学んでいては足りません。大学が日本語専攻の学生向けに開設した日本語資料室のおかげで、日本と関わる内容を学ぶ良い機会が増えました。私が資料室で見たことがある本は主に文学の類ですが、すべて日本語で基本的に中国語訳がないため、現時点では読むのもまだかなり大変です。しかし自分で調べ理解することを通じてより日本の文化が好きになり、同時に日本語のレベルもある程度は向上できています。

黄岡師範学院日本語学科2年 楊雪

黄岡師範学院日本語学科2年 楊雪

 日本語資料室の内容は豊富だと感じています。原版の日本語の日本文学、研究報告、新聞雑誌、マンガ雑誌、教材類の書籍だけでなく、中国語版の留学資料ガイドもあります。授業の余暇の時間を割いて資料室の本を読めば、日本語を専門に学ぶ私たちはより深く日本の文化に接れて理解できる上、今後の学習生活の中でも長く役立てることができます。

黄岡師範学院日本語学科2年 楊済萌

黄岡師範学院日本語学科2年 楊済萌

 アルゼンチンの作家ボルヘスに、「天が私に広大な本の海と一組の見えない目を与えたとしても、天国は図書館のようなところだろうと私はひそかに考えている」という言葉があります。彼に比べて、私達はとても幸運です。目が見えるとともに資料室にはいっぱいの本が用意されているのですから。実は、ひとつの言語を学ぶことは歴史の長い流れの中の悠久の歴史と光り輝く文学の隠れた名作のためです。資料室いっぱいの知恵はどんなに考えてもわからないことに解答を出してくれて、日本の文化と日本語学習を融合させ、日本語学習の魅力をいっそう無限なものにしてくれています。

黄岡師範学院2年 朱成

黄岡師範学院2年 朱成

 日本語資料室の設立は、日本語資源が立ち後れている我が校にとって、とても意義があります。幅広い学生に日本語の原書と触れる基盤を提供してくれる同資料室は書籍の種類も割と全面的で、経済、政治、歴史、マンガ、教材などに関連するものがあります。しかし低学年の学生が読むにはやはりある程度の難しさがあります。

黄岡師範学院日本語資料室 毛学静

黄岡師範学院から日本科学協会への図書寄贈の感謝状

尊敬する日本科学協会指導者の皆様 こんにちは。
本学日本語資料室にご寄贈いただいた書籍を拝受しました。学びを助けるための皆様の惜しみないご寄付に感謝いたします。ここ数年、大量の日本語書籍や資料を無償でご寄贈いただいてきました。これらの本には当資料室に対する皆様の切実な期待とすばらしいお気持ちが託されております。当資料室の資源が豊かに充実し続けることで学生たちに新たな読書の余地ができ、学生たちの視野が広がり、学生たちが書物の中から知識を学ぶ楽しみを感じられております。 苗木の成長は日光の加護と切り離せず、花が開くには雨露の潤いが不可欠です。貴協会からの図書寄贈は、我が校にとって物質的な援助となっているだけでなく、精神的な励みにもなっております。貴協会の中日友好への切実な期待と積極的に国際文化交流を推進するたゆまぬ努力を深く感じております。
これらの本は主に日本語資料室で所蔵し、整理して配架しており、専任者が管理を担当して広く教員や学生に貸し出しています。寄贈図書は政治、経済、哲学、社会科学、伝統教育、歴史文化、地理といった多くの分野を網羅しています。しかもこれらの寄贈図書は多くが日本語の原書で、収集と利用の価値があり、以下の特徴を備えています。一つは、学術的な価値が高いことです。日本語学科の教員にとって、教育や専門研究などにとても役立つ書籍が多く、また自身の専門の学習や教育の展開、研究にも理論的根拠となってくれています。もう一つは、人文面での意義が深いことで、中国古典文学の名著の紹介に関するものがたくさんあって、幅広い学生達の知的欲求や探究の熱をかき立ててくれています。授業の余暇の時間に、たくさんの学生が日本語資料室を訪れ関係する本を借りております。日本語学科はまた貴協会から頂いた本を頼りに読書大会、日本語コーナーなどのイベントを催しております。
貴協会の本学文献資源充実に対するご支持、黄岡師範学院の日本語教育事業への無私なる貢献に改めて心から感謝を申し上げます。皆様がご家族ともども幸福に過ごされ、事業がますます発展しますように。

遼寧師範大学外国語学院日本語専攻2年 趙瑩

感  謝

遼寧師範大学外国語学院日本語専攻2年 趙瑩

まず、皆様の惜しみないご寄付と無私のご支援に心から感謝させてください。ご寄贈いただいた書籍は、すでに学生たちにとって不可欠な精神の糧となっています。このような精神上の栄養と糧はきっと精神的な財産としても、毎年の学生がすくすくと育つ栄養となり、学生に骨身を惜しまず学ぶように励ましてくれるでしょう。努力して研究し、学びの成果を得たら、胸いっぱいの情熱で意識的に自分の知恵を発揮して故郷に幸福をもたらし、社会に報います。
図書館で本を読んでいると、日本の文学、日本の歴史を知るだけでなく、さまざまな面における日本の文化をより詳しく知ることさえできます。日本語専攻の学生として、とても有益に感じています。ゼロから日本語の学習を始めると、初めは何も分からなくて困難です。先生や同級生の助けと励ましがなければ、私はきっと今の自分にはなれなかったでしょう。なので私はずっと感謝の心を持っています。日本から贈られた本で初めて触れたのは、大森和夫先生の著作『新日本概況』です。
私の大学が日本の教育機関や日本社会とここまで深い縁があることを初めて知ったのも『新日本概況』で、この本から日本語を学ぶことへの興味が呼び起こされました。来る日も来る日も続く教科書の知識の学習に次第に満足できないと感じだし、学べるものは多くても、学んでいないもの、触れていないものはもっと多いと感じていました。一つの外国語をマスターしようとしている自分にとって、こうしてただ教科書の内容を学ぶだけでは、より深くこの言語の背後の意味、文化を理解するにははるかに足りないと感じます。なので、折を見てよく図書館へ行き読書するようになりました。
いちばん最初に触れたのは、中国語版の『ノルウェイの森』です。当時は自分の能力が日本語版の原著を理解するにはまだはるかに及ばなかったので、少しでも読めるように、少しでも分かるように、2冊を借りて中国語版と日本語版を対訳として読むしかできませんでした。当時は日本語版の『ノルウェイの森』が日本の方から寄贈されたものだとは知りませんでした。今から思うと、本当に縁があるのですね。
今はもう大学3年生で、毎日授業を受け、進級試験の準備に忙しくてどうしようもありません。それでも時間があれば図書館へ行って日本語の原書を読むのが好きです。いつも本を手に取って読み入ると、まるで本当に本の中の人物と話し合うかのように、心が静かに落ち着いてきます。本の中の人物が生活する世界のを理解するのと同時に、専門科目では学べない多くのことを学ぶことができます。これは私が図書館で最も多く得られるものです。図書館に行くのが好きな理由でもあります。
そしてそのすべてを下さったのが日本科学協会です。私たち日本語専攻に対するご支持、本学に対するこれまでの惜しみないご支援に、とても感謝しております。ご寄贈いただいた本は価格のついたものですが、書物が知識を与えてくれて、良好な関係を維持できるのはプライスレスできわめて貴重です。
もっと努力すれば、将来は日本に留学する機会もあるかもしれません。そのときには、日本現地で書物にない知識を学び、たくさんの物語やユーモアがある人と知り合って、中日の良好な関係のために微力ながら貢献して、日本の先進的な科学技術と文化を学びたいと思います。それを目標として、しっかりこの道を歩み、自分の夢を実現したいと思っています。
最後に改めて心からの感謝を申し上げさせてください。ご寄贈いただいた書籍は私達の学習と生活の上で、たくさんの面で、大学生、大学院生のこの上ない助けや励みとなっております。より精密な知識に触れる機会が得られることにより、専門の面で進歩が得られるのです。ご寄贈の意義はここにあるのではと思います。

遼寧師範大学外国語学院日本語専攻1年 王卓琳

図書館の日本語寄贈図書を使った感想

遼寧師範大学外国語学院日本語専攻1年 王卓琳

初めて図書館に行ったとき、日本語類の書籍は数が多く種類もそろっていることに気づきました。私の想像を超えていました。日本語は小さい言語の部類だと思っていたのですが、図書館にある日本語類の書籍は数の面でも関連分野の面でも中国語の文学類の書籍に負けていません。本学が日本語という専攻をどれほど重視しているのか、そして日本語専攻に関する実力も分かります。
日本語書籍の収集室に入ると、本棚はさまざまな書籍がぎっしりと詰められています。誰でも知っている有名な文学作品だけではなく、面白そうな物語もあり、初学者向けの童話まであります。どの本も装丁がとてもきれいで、表紙だけ見ても手放したくなくなるほどです。図書館スタッフの説明によると、こちらの本の多くは日本の団体から無償で寄贈されたもので、たくさんの親中の人々が、本の寄贈を通じて日本の歴史や文化を私達によりよく理解させ、両国間の友好的往来を強化できるよう望んでいるとのことです。本を開いてみると、扉にとある機関から寄贈を受けた旨の文が見えます。その来歴を聞いてからあらためて愛すべきこの本たちをめくると、知識の力を感じ、さらに行間の温かみも感じられました。これらの本は両国民の友好的に付き合いたいという願望をいっぱいに含んでおり、貢献してくださった日本の関係機関と個人にはたいへん感謝します。
実は、以前は日本語の原書を読むことが好きではありませんでした。日本語の本が面白くないからではなく、語彙力があまりなかったので分からない単語が多かったのです。なので日本語の原書は私にとって本の内容がもたらす喜びを享受するものではなく、必死に単語を調べるもので、最後まで読んでも内容が頭に入らないような存在でした。しかし図書館の日本語書籍は私の日本語書籍に対する印象を完全に覆してくれました。どれも装丁がとても美しいので、どうしても手にとって読みたくなってしまうのです。こうした本を読んでみると、心や目を楽しませる図画が多く配されていることに気づき驚きます。そのとき、そばにある文字もさほど無味乾燥には感じないのです。しかも図画は文章全体の理解にとても役立ちます。挿絵をみただけで文章全体の内容がおおよそ理解でき、文章全体がいきいきして見えることもあります。初めは比較的簡単で面白い童話を読んでいましたが、それからゆっくりと短編小説に触れるようになり、その過程で知らず知らず日本人の表現法に慣れてきました。ほんの少し難しい本をゆっくり読んでいるときにも意外と理解でき、面白いと感じられるのです。またこうした読書週間はふだんの学習中にも非常に役立っています。多くの単語と文法が苦心して丸暗記するまでもなく覚えられるのですが、文章中に出てくる回数が多いので自然と頭に入るからです。しかも多くの単語と文法は文中の形で覚えるので、ふだん日本語を使うときにも比較的適切に組み合わせの運用ができます。
また、これらの日本語書籍は、装丁の美しさだけでなく、持ち運びやすいという特長もあります。大きくて重い本は出かけるとき持ち出しにくいので、暇なときはゴシップ記事でも見るほうがいいと思っていました。得てして本当にゴシップ記事に興味があるからというわけでなく、スマートフォンで持ち運べるのが便利だからです。多くの人が退屈のあまり、何度も同じ記事を見ていたりさえします。しかし図書館にはポケット版の「手のひら文庫」がたくさんあり、コンパクトなのでポケットにしまえるものまであります。これならふだんの暇なとき、いつでも取り出して読めるので時間の節約にもなります。そのうえ文庫本には短編のオムニバスも多く、5分もあれば読み切れるので、次の読書に影響しません。なので細切れの時間に読むと、暇つぶしになるだけでなく知識も学べて非常に役に立ちます。
まとめると、こうした貴重な資源に触れることができたいへん光栄です。より多くの面から日本の歴史や文化を理解できるだけでなく、良好な読書習慣を身につけることもできるので、後輩たちにもしっかり利用してほしいと思います。最後に便利な条件を整えてくれた本学と、惜しみないご寄付をくださった日本の関係先の皆様に感謝を申し上げます。

遼寧師範大学外国語学院日本語専攻1年 葉榕安

図書館の日本語寄贈図書を使った感想

遼寧師範大学外国語学院日本語専攻1年 葉榕安

「読書は役に立つ」とよく言われます。書籍は媒体として、人類の進歩のさまざまな面を文字で記録して、さらには理念を広範に伝播させるものとなった、歴史と発展の実体ある証拠品です。本は知識の媒体であり、知識は人類の文明が進歩するための階段です。
専門の日本語学習者として、大量の日本語の原書を読むことができるのはとても貴重な機会です。日本の原書を読むと、正統な日本語の言語思考を体験できるだけでなく、日本語文化の知識を広く開拓して、日本の社会や文化に対する認知を深めることができます。日本語の原書を読むのは、日本の文化を理解する最も速くて最も有効な道だと言えます。大学図書館の日本語文献の蔵書の中で、私は自分のこの願望を実現しました。
書庫に入ると、目の前には震え上がるほど大量の日本語書籍があります。日本語文献は分野別に整理されて書架に並べられています。本が扱っている内容はとても広範です。たとえば日本文学類の文献、歴史類の文献、現代小説、子供向けの絵本などです。数が多く内容が幅広いので、どこから読むか分からなくなります。一冊一冊が日本文化へと通じる窓であり、どの本からも多くのものが得られます。この苦難に満ちた選択の中で私が気に入って選んだ2冊は、1冊が『花のおさな子』という児童書、もう1冊が『恋の翼』という恋愛小説です。
『花のおさな子』という本を選んだのは、時代色に満ちた表紙に惹かれたからです。幼稚園児向けの童話集で、真っ赤な表紙には表情と態度のそれぞれ異なるウサギ、キツネ、ネズミが描かれており、この画風で自分が小さかったころの時代に対する追憶が呼び起こされました。本には昭和三十一年つまり1951年に印刷されたとあり、遠い年代の本だと言えるでしょう。この本は当時、日本幼稚園連合会に贈られたとあり、中には長沢依山という作者直筆のサインもありました。私は古い年代の事に対してずっと好奇心を感じています。その年代の人や物事は恐らく時間の経過につれて少しずつ忘れられていきますが、その年代の作者の創作したこの本が60年余りの歴史をくぐり抜け、その時代の印をそのままとどめて私の目の前に現れたことに、思わず大いに感慨を覚えました。これも書籍の魅力のひとつでしょう。
子供向けの読み物のため、言葉も内容も非常に簡単で分かりやすく、日本語の初学者にとても役立つものだと思います。物語の内容が簡単でもたいていほのめかす意味は深いところに、日本の幼児教育者の真剣な態度が見られます。
もう1冊の『恋の翼』は今の生活年代にやや近いもので、美桜という高校生が表面上では普通の高校生活を送りながら、実は家庭の問題に困っているといった内容が主に書かれています。一年前に父親が問題を起こしたため、美桜の家庭に天地を覆すほどの変化が生じました。母親は極度の鬱状態に陥ります。両親の面倒を見る毎日の中で、美桜のストレスが日増しに増大していきました。ある日、友人とのつながりで彼女は樹という少年と知り合います。格好が良くて明るく快活な樹に美桜はたちまち惹かれました。しかし2人は巨大な悲劇の運命が彼らを待っていることを知りませんでした。この小説では主に日本の若い人の恋愛と人生観が描写されていますが、とても私たち若い世代の生活に近いものです。この本のおかげで日本の若い人の生活の状態を知ることができました。ふだん私達は日本の伝統、歴史、文化や風土と人情により多く接触しており、現代の日本の若い人の作品に触れる機会は多くありません。なので今回この本を借りたことで日本の若い人を知る機会ができました。図書館にはこうした本がまだたくさんあり、これからもっと借りなければなりません。
まさに日本から贈られた本のおかげで、より広大な世界を理解する機会ができ、私たちの日本語学習もいっそう多彩になっていると思います。

遼寧師範大学外国語学院日本語専攻2年 李沢昊

感 謝

遼寧師範大学外国語学院日本語専攻2年 李沢昊

中国では小学校の教科書に載っていて誰でもおなじみの名言、ソ連の作家ゴーリキーの「書籍は人類が進歩するための階段」というものがあります。遼寧師範大学図書館は日本科学協会から図書の寄贈を受けましたが、まとめて言うとしたら、我が校の教育業務の進歩と教員や学生のレベル向上が促されたと思います。
まず、日本科学協会から本学への寄贈は中日両国の友好の歴史、友好的な交流の精神を伝承しています。中日両国は一衣帯水で、鑑真が日本へ渡ったことや、遣唐使、朱子学の伝播など古代の中日交流の美談は言うまでもなく、近代には日本政府とたくさんの日本の篤志家が孫中山先生の革命活動を支え、日本で訳された科学や歴史などの外国語の固有名詞がたくさん中国に導入され、中国の文化事業の発展を促進しています。
次に、日本科学協会はインターナショナリズムの精神を発揚して寄贈を行っており、こうした行為は無私のものです。これは中国共産党が困難で苦しい闘争の歳月の中で貴国の林先生の援助を得たこと、日本の友好的な人々が中国人民空軍の建設のために巨大な支持を提供したことと同じ美談です。
さらに、そして最も重要なこととして、連合艦隊司令長官東郷平八郎の「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門にまさる」を引用したいと思います。授業を担当する先生によく教えられているのは、学校は科学の研究と教育を形の上に求めてはならず、日本科学協会から贈られた書籍は棚上げにせず、学生が必要なとき十分に接触できるようにしなければならないということで、日本の本を繰り返し読み、日本人の考えや言語を学んで、日本科学協会の本を本学で輝かせるのだと聞いています。例えば日本語教育専攻では、日本科学協会から寄贈された大森先生の『日本概況』を講義で学んでいます。本の内容には日本の風土と人情を生き生きと描き出したものや、日本の俳句についての面白い豆知識があります。
今後も日本科学協会と本学図書館との交流が続き、中日の言語の研究、中日の教育交流事業の発展のためにより積極的に貢献できることと、この遼寧師範大学の学生が出て行く機会を得て、中日関係の新しい未来を始め、絶え間ない努力の中でもう一つ上の段階へ行けることを望んでいます。

遼寧師範大学図書館文献リソース構築センター 楊黎

遼寧師範大学図書館における日本科学協会寄贈図書の管理について

遼寧師範大学図書館文献リソース構築センター 楊黎

遼寧師範大学は総合大学で、日本語専攻があるため、日本語の書籍や資料にはとても需要があります。当館の書籍購入費が逼迫しているため、原書の経費はさらに少ないので、貴協会からご寄贈いただいた日本語の原書は、きわめて大きく蔵書を豊かにし、所蔵の範囲と品種を拡大してくれています。本学の教員や学生の研究や学習にとても重要な働きを見せていると同時に、より深い日本の社会と文化の理解を助けています。心から感謝を申し上げます。 寄贈図書の受け入れを改善し、利用率を高めるため、当館は日本語寄贈図書の管理に注力してきました。まず、師範大学であるため、設けられている科目には特殊性があります。このため頂く本の選択でも対応性を重視し、言語学、文学、哲学、社会科学、伝統教育、歴史の文化などの分野を主体として、日本科学協会から提供された選定リストから関係する書籍を選び、目録を作成して返信しています。次に、当館では寄贈図書を受け取った後、検収とデータ加工をしてから流通プロセスに回しています。日本語寄贈図書を管理する専門性、科学性のため、日本語図書の選定、データ加工、収蔵には日本語専門の教員を選んで専任につけています。また、この業務を担当する教員は中国農業大学の催す日本語目録編纂担当員講座に何度も参加し、関連する試験に合格して、日本語書籍のデータ処理の正確性と精度を高めています。当館では寄贈図書を受け取った後、検収とデータ加工をできる限り早く済ませ、資料をタイムリーに正しく多くの教員や学生に提供しています。
日本科学協会には非常に感謝しております。皆様の専門性と熱心さには敬服するばかりです。ご寄贈いただいた図書は当館の外国語蔵書を充実させ、広がりも深さも持たせてくれています。当館は寄贈図書の管理をより強化して、その質と利用率を引き上げ、効力を最大限に発揮できるよう努めてまいります。

江南大学図書館

日本科学協会寄贈図書の管理と利用についてのまとめ

本学は日本科学協会からこれまで10万冊以上の寄贈図書を頂いております。これらの寄贈図書により当館の蔵書はきわめて豊かになり、日本の原書に触れられる読者が増えて、本学の日本語の教育と学術研究にとても大きい助けとなっております。近年は寄贈図書の管理と利用を改善して中日両国の間の文化交流と友情の使者の働きを本当に発揮させるべく、図書館は以下の取り組みを展開しております。

1、読者が利用しやすいように、日本語書籍の図書目録を蔵書目録体系に取り込むべく、図書館指導部のもと2011年から全館を挙げて努力し、2014年の初めまでに全冊の図書館管理システム登録を完了しました。この間は全国CALISセンターの日本語目録編纂の先生方にもご支援を頂いております。現在は日本科学協会の寄贈図書をすべて登録済みです。所蔵している日本語書籍の図書目録は10万種近くあり、すべて図書館のウェブサイトで見られるようにしてあるため、本学の教員や学生が図書館統一検索プラットフォーム上で探しやすくなり、寄贈図書の利用がきわめて便利になりました。これだけの規模の日本語書籍の図書目録体系は中国国内で上位にあります。
2、所蔵している10万冊以上の寄贈図書は密集書庫で集中保管し、教員や学生が借りられるようにしてあります。2012-2016年の間に貸し出された日本語書籍は3400冊で、このうち2015年にご寄贈いただいたものが318冊、2016年のものが167冊です。詳しくは付録1の2016年日本語書籍貸出明細をご参照ください。
3、近年、当館は中国高等教育文献保障システム(CALIS)構築の要件に積極対応し、中国高等教育デジタル図書館を中心とする教育文献共同保障体系を構築して、高等教育機関の豊富な文献資源を統合することで、情報資源の共同建設、知の共有を実現しております。当館OPACは対外開放しており、Eリーディングモデル館を構築して蔵書が他館からも検索・利用できるようにしてあります。特に日本科学協会の寄贈図書は江南大学図書館独自の資源として国内の兄弟館から人気です。2012年からこれまで中山大学図書館、南京大学図書館、厦門大学図書館、西北大学図書館などに貸し出された江南大学図書館の日本語寄贈図書は80冊余りで、これらの本が利用されると同時に江南大学図書館の影響力が拡大しています。貸し出された寄贈図書は『江戸の社会構造』、『日本民俗文化大系.9,白鳥庫吉:神話論.鳥居龍藏:人類学と考古学』、『Collection(コレクシオン)開高健1982』、『小説構想への試み1982』、『鴎外の精神1974』などで、70〜80年代の本が広大な書物の海から読者の視野に入り、広く好評となっています。
4、日本科学協会の寄贈図書の利用効果をさらに発揮させるべく、図書館では受け入れた本の写しを無償で無錫にある兄弟校の無錫職業技術学院、江蘇情報職業技術学院に寄贈しています。写しには限りがあるため、無錫にある関係校は競って申請しており、とても歓迎しております。これらの寄贈図書はそれぞれのキャンパス図書館に収蔵され、その教員や学生のために提供されています。詳しくは付録2と付録3の説明をご参照ください。付録2―無錫職業技術学院が寄贈を受けた図書について、付録3―江蘇情報技術学院が寄贈を受けた図書の利用について説明したものです。
5、2016年は日本科学協会が開始された「本で味わう日本」作文コンクールに合わせるため、図書館では全学に参加を呼びかけ、10本以上の作品が寄せられました。残念なことに呼びかけが不十分で作品の質がいまいち理想的でなく、ふるい分けた残りの一部を提供しております。付録4の2016年「本で味わう日本」作文コンクール応募作品集をご参照ください。

江南大学IoT学院計算機科学技術科 毛臻臻

生命のむだ

小さい頃は本が分からず、目新しく面白いことが書かれているぐらいは知っていましたが、登場人物の感情については理解していませんでした。のちにだんだん接触が増え、年齢に伴って経験と視野が豊かになったので、ある人物が好きになるところからある種類の性格に夢中になるところまで至り、さらには驚嘆するようになりました。作者はどうして平面的人物をそこまで立体的に表現し、部分的な出来事をまとめあげることができるのかと驚嘆します。レンガや瓦の一つ一つがあっという間に千里の長城になっているかのようです。今や社会学を学んでいるので、どうして作中の人物がそういう挙動を見せたのか、その背後にあるのは環境か、経歴か、それとも民族の伝統的な考え方や習慣によるものかなどに興味を持つこともあります。
ベーコンに「読書は反駁のためにするのではなく、盲信するものでも、まして話をする材料を探すものでもない。比較判断して考えるためのものだ」という言葉があります。学びながら考えてこそ、本当に読書を始めたと言えるのだと思います。 日本に対する印象は、周りの人の言葉から始まって、高校の時に『雪国』を読み、日本に対する好感はますます収拾がつかなくなりました。同書の物語は孤独の密生するジャングルの中で生じたかのようで、雪も孤独、山も孤独、列車も孤独で、人物の言動にはさらに濃厚な孤独と寂しさが透けて見えます。
美の極致はもの悲しさです。『雪国』ににじんでいる氷のように純粋なもの悲しさ、哀愁と思念が混ざりあい、内心のわめきと表面の落ち着きに化学反応が生じています。駒子は欲望、張愛玲〔訳注:中国の現代作家〕の描く真っ赤なバラのようで、火のように熱く、しかしその熱さの中に恐れを持っています。葉子は純真な白いバラ、窓に差す月光、ガラスに映る影で、ひっそりとしている中に憂いと悲しみが紛れ込んでいます。このような魂と肉体の関係は、クンデラ〔訳注:フランスの作家〕の軽さと重さのようで、私たちは軽い魂を追い求め、解脱を求めながら、最終的には重いところに向かってしまい、どうあがいてもどうにもできないのです。駒子がリアルで触れられそうな人物像なのと比べ、葉子は幻想的で、島村はその印象の大部分を視覚表現として残しています。現実に疲れ、現実の宇宙を離れるというのはたいてい誰でも出会う難題でしょう。
もの悲しさは美しく、むだも美しいのです。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という簡潔で生命力のない冒頭、女子の影と声は驚くべき美しさですが、こうした美しさが車窓から投影されてくると、美は無力さのベールで覆われてしまいます。この作品では文章の初めから繰り返し「むだ」という言葉が強調されています。島村の駒子に対する内心での評価も「むだ」、むだな人がむだなことをしてむだにあがき、愚かにもむだな愛情を得ようとたくらんでいるというものでした。しかし命そのものがむだなものです。むだは結果論のひとつであって、結果が意に沿うものでなければその過程はむだということになります。願われた結末に望みが見えないと、できごとそのものが自ずとむだになるのです。そうしたむだ、徒労が文章を貫いており、最後に葉子が火の海に身を投げ、駒子が発狂し、島村が暮らしていた場所に戻るまでのすべてがむだでもあります。しかしむだはまさしくある種の美しさです。不完全が美しく、かけらが美しいように。
人物が少しずつ現れ、舞台が絶えず変わる物語は、明らかに人の群れが騒がしさをもたらしながらも随所に「孤舟蓑笠の翁独り釣る寒江の雪」の孤独、とらえがたさ、寂寥感が透けて見えます。本の中で主人公の島村は事件全体の観察者に設定され、物語の全体を圧倒して雪国のすべてを見下ろしています。徒労をする駒子、透き通った葉子は、「前に古人を見ず後に来者を見ず」もの寂しさと孤独の寂しさを深めています。
あらすじのないシナリオはむだに対する必死の頑張りと抵抗に違いなく、必死の頑張りそのものも徒労(むだ)の一種です。こうしたむだとそのもたらすもの悲しさに興味を引かれるのですが、まさかこれが日本人のやりかた考えかたなのでしょうか。そこで『伊豆の踊子』も読み、村上春樹の『ノルウェイの森』、渡辺淳一の『失楽園』も読んでみました。それぞれに物語と心情が描かれています。本は読み終われないもので、すべて読み終わりたいというのは妄想で、実際にそぐわない欲望です。
川端康成は、書中の島村は自身のことかと問われ否定しています。駒子にはモデルが存在し、一部の物語を後から書き加えたが、葉子は全く架空の人物だとも話しています。そう考えると、島村が初めて葉子を見かけたとき目にしたのがガラスに映った影だけで、書中での葉子の描写がほとんど眼差しと声だけなのは、駒子のリアルな肌の描写と比べてより虚無的です。そして葉子という人物のイメージは、穢される前の清い駒子のように忠節を守って善良で、完璧さの化身であり、駒子と比べて葉子がより幻想的で理想的なのは二人が互いに補完した「美のむだ」を構成しています。
通して自由に見ると、雪国の景色は白黒のきわめてシンプルな美にあふれていて、3人の間のことも平々凡々なようで、シナリオと言えるほどのものもなく、人生のように音も気配もない、幻想的なものです。しかし最後には真っ赤な炎が黒と白のすべてを巻き込み、はかない葉子をも連れ去ってしまいます。このような色の上のコントラストは唐突さに見る者が挙措を失う無言劇のようで、佳境のときに幕が下り、観衆が感傷的になる間もなく、いつまでも続く憂うつだけが残ります。
銀河がガラガラと彼の心の奥底へと流れ落ちたかのようです。生命はまたむだに、むだなもの悲しさになります。
島国の東京は、蜃気楼の中で静かに落ち着いている古代の中国で、夕日の下できらきら光るほこりさえ歳月の静謐な味わいです。『雪国』はこうした重苦しい中にもの悲しい雰囲気を帯びていて、いわれなく人にあこがれを持たせます。風穏やかで日うららな昼に桜並木をたどり、古い神社に詣で、和服をまとった巫女と会釈して、改めて『雪国』を手に取り、ひっそりと静まり返った午後、窓際にもたれて細かく味わいつつ、机上にお茶の湯気を漂わせます。このような旅は、魏や晋の時代の気ままな風雅と唐のおおらかな気品と溶け合って、自ずと言葉で言い表せません。 旅がむだの一つでないはずはないでしょう。命そのものがむだなのです。

江南大学商学院 工業クラス 孫鵬宇

日本に入って、人生を悟る――『生き方』を読んで

いつか好きな人と桜の森に歩けたら、心も和やかに、軽くその香りをかぐことができたら。いつか独りで古い仏閣にたたずみ、はるかに遠い風鈴を聞いて、静かに心を落ち着けることができたら。いつか連れ立って青い橋や石の敷き詰められた道をそぞろ歩き、暖かな春風を伴って満足を味わうことができたら……。
日本に対しては、主権を失い国を辱められた悲しみを忘れられず、犠牲者が至る所に満ちていた血の色を忘れられず、見下げる眼光、傲慢な影を忘れられません。私たちもかつて反抗し、ののしったことがあり、激高する挙動をしたこともあります。一方で確かに日本の工業が発達していて、技術が先進的であることは否定できません。ある分野、ある産業で日本が中国をあまりにもリードしていることも否定できません。 初めて日本を知ったのは、女子であるがゆえに「東方の魔女」と呼ばれた伝説の人物、そう、「川島芳子」です。誇り高い智者だとも極悪な死刑執行人だとも言われていますが、私の目に映る彼女は謎のように魅力のある女性です。彼女のやりかたが賞賛できるというわけではなく、ただその女性としての強靱さに敬服するのです。いかなる政治色も付いていない敬服です。私は彼女を通して次第にその国を知り、その国へ立ち入るようになっていきました。また、その国に対する認識には何度も変化が出ています。
日本はとても前衛的な思想の国で、しかもそこにあるたくさんの考えの中から他国の文化と本土の文化の影を多く見ることができます。一国の固有の文化の基礎の上に限らず、発展する態度と絶えず前進していく態度に基づいているのです。
最近ずっと読んでいるのは『生き方』という本ですが、初めは商売や経営の道に関するバイブルに違いないと思っていました。著者の稲盛和夫がビジネスで名声の高い「経営の聖人」だからです。全書を通読してみると、彼の創業の道には言及がなく、人生の態度が書かれており、年輩者の人生の道が綴られていました。本の中では彼の日本人として自己の文化を認める態度だけでなく、中国の文化に対する尊重と敬慕の念も見られました。まさにこの決して見目麗しいとは言えない男性のおかげで、日本という国に対する私の観念ががらりと変わったのです。
『生き方』という本はある偉人の苦難に立ち向かう過程を融合しているだけでなく、人生の知恵と人生の行く先に対する思考が集まっています。『生き方』の中に、「成功の理由を問われたならば理由は一つ。私の才能は限られているかもしれないが、私には単純でも非常に強い指針がある。人間として正しいことを求めるという準則だ」という言葉があります。どのような心と気概なのか想像しにくいのですが、成功する企業家の持つべき立場なのだろうと堅く信じます。
行間から現れる本当の気性から、私は確かに傑出した事業家の心と品格を感じました。「人間として正しいことを求めるという準則」を成功の理由とするのはでたらめのようですが、この内向きな巨人は事実によりそれが「帝国」を築いた最も飾り気ない真の意味だと証明しています。簡単で飾り気ないながらも平凡ではないところが稲森哲学の魅力のありかです。琥珀のように精巧で、桜のようにシンプルな中にも輝きと魅力が透けて見えます。
稲森哲学は世界を救う学問だと言う人もいれば、人の世の知恵の結晶だと言う人もいます。世界を救う学問でも結晶でもまあいいとして、結局は人類の心を啓発する鍵となり夢の中の詩と遠方への避けて通ることのできない道に通じるものだと私は思います。
稲森哲学の核心は「人間として何が正しいのか」ですが、こうした言葉は一見すると簡単ですが、究極の真理です。人間として正しいこと、純潔ですばらしい心を追い求めて、自分の一生を傾けて、情熱を投じ、自分の才能を発揮することこそ成功を得る秘訣であり、この世の幸せの源泉です。
『生き方』を読んで本当に深く感慨を覚えました。今の時代は物欲があふれ、夢のように浮き沈みがあり、人々は生存するために一つまた一つの幻の世界を編んでいて、私も例外でありません。
私も自分の行為を反省し、心にぽっかり穴が空いたようになったことがあります。自分の心は澄んでいるか、態度はきちんとしているかと自問すると、答えは確実にノーです。この毎日みんながさまざまな十字架を背負っている、前に進むことが難しい時代に、正しい生き方の極致ができ潔白な生き方のできる人などいるのでしょうか。 稲盛和夫は、現実の人生の中で仏の教え六度を実践すべきだとしています。布施(親切)、持戒(言行一致)、精進(努力)、忍辱(忍耐)、禅定(反省)、般若(修養)です。誰もが純粋な利他の心を保ち、自分のさまざまな貪欲さ、恨み、傲慢さといった癖を抑えて、何事にも誠心誠意で向き合い、一日もむだに過ごさず、いかなる苦難に対しても屈服せず、逃げないで、入り乱れてうわついたさまざまなことの中で風雨にも動かない仏の心を鍛え、生命の様々な努力の中で、仏の知恵を体得するべきなのです。これはたとえ野心家の生活体験であったとしても、当代偉人の成功の道です。
その生活に立ち入れば、その生活が激情に富み、それでいて落ち着いていることに気づくでしょう。人生の哲学は恐れるものがない心、動じない心、世の中の至善にあこがれる心にあるのでしょう。
稲森哲学を仕事に生かす人は多くいますが、私は「人となり」に生かすほうが多いだろうと思います。私の人生にそれほど大きい波瀾はなく、さほど起伏もなければ大いに悲しむことも喜ぶこともありません。私には人に共通の性質、怠惰さがあり、以前は世間と消極的に向き合っていました。明確な目標がなく、長続きする平常心もありません。私に唯一残っているのはほんの少しの優しい心ですが、人にいろいろとだまされるうちそれもほぼ尽きようとしています。それまでの人生はまるでずっと坂を下っているようでした。私も「生きている価値」とは何かを考えたことがありますが、結果はきりがありませんでした。しかしこの本で一縷の光が見えた気がします。決してあまりよく理解できてはいないのですが、つまりほのかな暖かみがあるのです。この点々とした光は私に変われる、違う人生を体験できると感じさせてくれます。どこかに落としてきた心を拾い上げて心の声を聞き、違う世界を見るのだというのが『生き方』から得られたものです。本の名前と同じように違う自分を「生」かし、異なった精彩を「生」きるのです。
富士山のふもとにたたずんで濃いお茶を味わい、花の香りをかいで、次から次へと舞い落ちる桜を眺め、遥か果てしないこだまを聞きたいと思います……

江南大学紡織服装学院 駱詩馨

日本の印象

日本はユーラシア大陸東部、太平洋の北西部に位置しており、数千の島から構成された列島はアーチ形を呈しています。日本の東部と南部は果てしない太平洋を望み、日本海、東シナ海を西に臨んで、北はオホーツク海に接し、海を隔てて朝鮮、韓国、中国、ロシア、フィリピンなどの国と向かい合っています。中国と一衣帯水の隣国である日本は扶桑とも呼ばれ、両国には2000年以上前から付き合いがあります。文化の発達した漢朝が、漢の文化を「大漢国の東2万余里の扶桑」に広めました。唐に入ると、日本国が多くの学者、使者、僧侶を中国に留学させ、多くの文化交流の使者が現れました。鑑真、阿倍仲麻呂などです。特に中国の養蚕、絹織物、医学、文学、書道、絵画、音楽、舞踊が伝わると、日本文化の発展に巨大な効果を果たしました。
日本の国名は「日出ずる国」の意味で、また「桜の国」とも称えられており、日本の国旗は日の丸で、長さと幅の比率は3∶2です。旗面は白色で正直さと清らかさを象徴し、中央にある赤い日は誠意と熱意を象徴しています。日本が「日出ずる国」だというのは、言い伝えによると太陽神が日本を創造したとされるためで、天皇は太陽神の子孫であり、日の丸の由来でもあります。日本民族の主体は「大和人」で、和服も日本の伝統的な服装です。和服は中国の唐代の服装を基礎として千年余りの変遷を経て形成されました。日本人はその芸術感覚を余すところなく和服に表現しています。和服は種類が非常に多く、色柄、材質、デザインのいずれも、千年余りのうち多種多様に変化してきました。男女の間に明らかな違いがあり、場所や時間によっても違い、人々も異なる和服を着て現れることで慎重さを示します。
日本には有名な「三道」、つまり茶道、華道、書道があります。
村田珠光が「謹啓清寂」という茶道精神を示し、千利休は一字だけ変えた「和敬清寂」を根本理念としました。簡潔ながら含蓄があります。桑田中親は「茶道はすでに単純な興味、娯楽から、日本人の日常生活の文化を表現する規格と理想に進化している」と述べています。茶道は茶の湯(お茶会)とも呼ばれ、昔から美感のある式典として上流階層から比類なく愛されてきました。茶道は独特なもので、お茶を飲む儀式であり社会の儀礼でもあります。日本の茶道は最初、中国の唐の貞観年間に日本へ伝わりました。日本人は「中国が日本の茶道の故郷だ」と語ります。現代では、茶道は精神を集中させる訓練として、あるいは儀礼の挙止を培うために用いられ、一般の民衆に広く受け入れられています。
日本の華道は自然に対する愛と神仏に対する敬慕の念が起源ですが、同時にその発展の過程ではたくさん中国文化からの影響を受けています。中国の宋、元、明の時代の磁器の絵画や有名な文人である袁宏道の『瓶史』、張謙徳の『瓶花譜』などは、いずれも日本の華道が形成される歴史の過程で決定的な影響を生じています。現代まで発展してきた華道は、すでに日本の「国民芸術」となっています。日本人は生け花という芸術を通じて、自分の思想、感情と審美眼を表現します。生け花を通して、人々は自然と人の創造力を互いに結びつけることで生まれた特殊な芸術の美を鑑賞できるだけでなく、そこから形のない精神の力を吸収することができます。生け花は芸術になった生活であり、生活になった芸術でもあるのです。
書道と言うと、多くの中国人は中国独自の芸術だと思っているでしょう。実は、書道は日本でも盛んに行われているだけでなく、人々が修行し精神を涵養する方法の一つとなっています。古代日本人は書道を「入木道」または「筆道」と呼んでおり、江戸時代(17世紀)になって、やっと「書道」という名詞が現れます。日本で、筆で漢字を書く書道に盛んに行われたのは、仏教が入って来た後のはずです。僧侶や仏教徒は中国をまねて、筆で経書を写し取りました。日本の書道は総合芸術で、情緒、情操、芸術の美を求めます。
日本料理は目で楽しむ料理で、盛りつけにとてもこだわりがあります。料理の種類によって異なる食器を選び、一度の食事にサイズ、形、色、素材が異なる20〜30点の食器が使われることもままあります。日本料理は味わいだけでなく色合いも重視されます。さまざまな生花や花びら、季節の野菜の葉や茎で食べ物の周りを飾ることもよくあります。会席では日本人はマナーを重視し、音を立てず、話をしないようにして、とても静かに食べます。ご飯、料理、酒などを撒き散らしてテーブルを汚すことはなく、魚の骨なども目立たないよう食器の中に残して、テーブル上には置きません。 日本人は子供に対するマナー教育をまず家庭から行い、子供のうちから多少は物事をわきまえています。両親は子供に丁寧な言葉遣い、お辞儀、テーブルマナーなど教え、さらに子供が学ばなければならないエチケットは手を取って教えます。日本人の家庭では、子供は両親に、弟は兄に、女の子はまた男の子にお辞儀をします。子供は年長者や目上の人にお辞儀をするとき、相手が頭を上げるまで待ってからでないと頭を上げられません。時には何度も頭を下げることもあり、相手ごとに頭を下げる回数にも明確な教えがあるほどです。日本ではテーブルマナーも子供の必修課程で、両親が子供に詳しく説明して聞かせます。例えば食事の前には手を洗わなければならないこと、食卓に着いたら両手を合わせて「いただきます」(「では食べます」の意味ですが、両親と天の恩恵を拝受する意味を含んでいます)と言ってから食べることなどです。他にも、小さい内から子供が自分で寝具やおもちゃを片付けること、掃除をすることも両親が教えなければなりません。
まさに厚い氷が一日の寒さでできるものではないのと同じように、全世界で称賛される日本の上品さ、礼儀正しさも、決して簡単に成功したものではありません。日本の伝統教育から見ると、彼らはたいへん儀礼の伝承を重視しています。保育園や小学校がこのとおりで、中学高校から大学、最後に社会に出るまで同様です。その上、さらに自分の社会生活の中で絶えず自分の行為を改め、すべて「人に迷惑をかけない」ことを前提に、何事も他人の立場を優先的に考えることによって、自分の人柄と処世をできるだけ完全無欠に近づけるのです。

江南大学食品学院 食品科学科 朱子穎

美・義・道の日本

日本は文化の上で中国とゆかりの深い国で、歴史の長い流れの中で次第に発展してきました。
日本は空いっぱいに飛び舞う桜のように、多彩なかわいさ清らかさを開かせています。「さくらひらひら舞い降りて落ちて揺れる想いのたけを抱きしめた」。花に対する愛は、中国ではおっとりして美しい牡丹、あっさりとしてもの静かな菊、泥に染まらない蓮の花いずれでもかまいませんが、日本の桜への愛は国民共通です。文学作品でも映画やテレビの作品でも、あるいは生活の中でも、桜に対する日本人の偏愛が見られます。桜の美しさを見た目の印象から内在する品質まで分析すると、そのひ弱なかわいらしさ、清らかさだけでなく、早く咲き早く散る規模の大きさと勢いのすさまじさ、風向き次第で舞い落ち元に戻らないところにあります。日本人の悟る桜の美しさはすでに信仰の域で、清らかな美しさへのあこがれであり、振り返らないことへの尊敬なのです。
桜はまた死を見抜いた武士道精神のように、義勇で公のために力を尽くす行い、忠、勇、義、礼を解釈します。武士道精神の尊重は、ある程度、桜の雄大さと激しさ、元に戻らない美しさの追求と同じものです。君は臣の要、義勇で公のために力を尽くすというのは、日本のサムライが一生尊んだ信念です。鎌倉時代に始まり、江戸時代に洗礼を受けた武士道精神は代々のサムライを導いて、国のために尽力させ惜しみなく献身させました。このような精神は、ヨーロッパの騎士精神と似たところがあります。勇敢に恐れることなく前に向かい、目的に達するまでやめない、すべてを尽くして自分の任務を遂行するというのは、すべての国の将兵の心に不可欠な信念です。 それはまた静寂で深遠な神社、英知に富んだ老人のように、道を間違った者のために方向を導きます。中国の廟であれ日本の神社であれ、静謐で神聖なものです。その場所でそっと鈴を揺らし、心の中の信仰を呼び覚まして、敬虔に二礼二拍手一礼をして、来年の願望をその中の神に訴えます。
千百年来、文化の交流と衝突の中で、日本の美、義、道に対する追求も絶えず進歩して、今やすでに高い水準に達しており、一つ一つ訪れて理解する価値があります。

江南大学商学院工業 龐健

『ノルウェイの森』の読後感――さまよえる青春

初めて村上春樹のノルウェイの森を読んだとき嗅ぎ取れたのは、青春のかすかな困惑から来るどうしようもなさとため息です。作者はきわめてきめ細かい文章で、思春期の男女のイメージを深く描写しています。青春を困惑することなく過ごした人などいないでしょう。ぼんやりとした男女間の破れない隔たり、親心への反抗、未来に対する迷いと現在の自分自身の否定、思春期の私たちにはいつもいざこざがありすぎます。いつも自分の好きな事をしていたいのに、結果はいつもそれほど意に添うものではありません。感情のぼやけが非情にも両目をふさいできます。いまを生きている人は過去を悔やまず、現状に立脚して将来、安楽と晩年に目を向けるべきですが、20歳の現在、私たちがあまりにも多く直面しているのは、夜明け前の薄明かりをつかまえたと思っていたのが実際は深みと困惑の沼にはまり込んでいるような事態で、横たわってうめきながら自分で抜け出す力もありません。幼い私たちはそれほど弱弱しく無力に映るのです。
 この本では全体を通じて愛情を手がかりに話題が展開されていますが、そこに見えるのは自分と身辺の同級生のリアルな描写のようです。主人公のワタナベは少し自閉症気味の性格で、毎日の生活は教室、寮、工場を行き来するばかりです。面白そうには見えない生活が、彼の目の中では彩り豊かな美しさに満ちています。「いま何をしていて将来何をしたいのか自問するといつも霧中に落ちてしまう」。彼はそれまでただ自分のためだけに生き、外部に全く関心をもたず、俗世間の観念に制限を受けることもなく、生活はただ自分の人生で得がたい暇のためで、寝ぼけながら話すのは仙人のようです。ワタナベは見たところ普通の日常でも気楽にのびのび生きています。相反して、親友のキズキは抑圧的で卑屈さに満ちた性格として描かれています。直子とワタナベの前では豊かな学識を蕩々と語りながらも人前では想像するほど能弁ではないようで、彼は偽りのマスクを付けて、本来の最も真実な自分をごまかしていました。キズキの自殺は恐らく一部の青少年が進む帰れない道です。一心に絶えず向上しようと努力して他人に肯定されたいと望みながら、結果はいつもそう思いどおりで満足できるものではありません。実は私たちみんなが唯一無二の存在であり、私は私で、他人が自分の生活に干渉することはもうあり得えない、自分が思う最もすばらしい自分としてふるまいます。青春が私たちに教えているのは、人生は平然と構え余裕を持ち、平然として歩き続けることが必要だということかもしれません。
作中の直子にとって、愛の悲劇は避けられません。楽観的で積極的に向上し自分の幸せを追う緑子と鮮明な対比を生じています。緑子は作中で最も活発な人物として描かれています。自由、誠実、率直、さわやかな性格で、緑子は最後に自分の幸福を勝ち取っています。ワタナベは直子の感情を前にして萎縮せず思い切って愛することを選び、最大限に努力して求めました。彼の直子と向き合う感情は本心からのものと、親友を亡くした後悔と責任の気持ちもあったかもしれません。ワタナベは真心を差し出しましたが、直子はやや卑屈なほど謙虚な人です。緑子やワタナベと比べると直子はあまりに抑圧的で自分への誠実さが足りず、素直さが足りません。仮想の世界の中で生きる彼女はいつも内心を自分の深い所に隠そうとしています。レイコが「直子はどうなのか分からない」と言っていますが、そうすると幻で真実のつかめない直子は自分の心の深い所で本当に思っていることさえはっきり分かっていなかったのかもしれません。「私は愛される価値がない」というのが直子の自己評価です。このように自分を信じないで、いつも絶えず逃げ続ける、こうした誤った心理がまさに直子の命とレイコの幸せを葬り去ったのです。事実は、どんな人にでも愛される権利があります。それは神が人類に与えた最も純真で最もすばらしい感情で、誰であっても、悪の限りを尽くしたとしても、どんな過去を持っていても、どんな欠点があっても、どれほどモラルが欠けていてさえも道徳的な激しい非難を受けるだけであって、愛される権利が奪われることはありません。まして普通の人、同時に地球上のどこかで生活している人です。誰にでも愛される価値はあり、平然と他の人からの愛を受け入れることができます。私たちの青春も同様に、自分の気持ちに素直に従わず、心から一人を愛そうと試みて、相手に最も真実な自分を捧げるはずです。しかしワタナベと直子の間のわびしい愛にはいつも言葉にならない自分の淡く微かな憂いや悲しみと哀愁がつきまとっていました。これは作者が文字を通して私たちに伝えたいメッセージなのかもしれません。
ワタナベのせりふに「決して彼女(直子)を捨てない。彼女が好きだから、自分は彼女より粘り強くて、そしてますます粘り強くなり、成熟して、大人になる――それ以外の選択はない。それまでの僕は可能ならば永遠に17歳か18歳でいたいと思っていたが今はそう思わない。もう十数歳の少年じゃない、自分の背負う責任を感じている。なあキズキ、僕はもう君と一緒にいたころの僕じゃない、もう20歳だ。生き続けるために相応の対価を払わなければならないんだ」というものがあります。人はいつも成長し、責任の意識、必死に頑張る意識などを学んでいきます。そのどれも神から直接与えられたものではありません。テレビのニュースでは強盗事件が毎日枚挙にいとまがないほど報道され、また凡庸でこれといって為すところもない人もいますが、夜を日に継いで奮闘し第一線で働いている人もいます。私たちはどのようにして愛し、自分に帰るかを学ぶ必要があります。両親や先生の言葉はただ通り過ぎていく風に過ぎません。青春はいつもひっそりと謎かけを残し、探求され発見されるのを待っています。最終的な実りが多いかどうかに関わらず、いつも歩き続けるのです。
本の中では「死は決して生の反対側ではなく、生の一部分として永久に存在する」と繰り返し書かれています。本の全体が青春の話題を中心に展開されていますが、読み手には人生についての思考が残ります。青春は一人の人生という道の上にある美しい景色のひとつに過ぎません。誰でも一生の中で途方に暮れること、どうしようもないこと、ふさぎ込むことがあり、困難を前にして自分を否定し、間違った道を進んで絶体絶命に陥ることもあります。反対に、もしも人の一生がいつも平平凡々だとしたら、楽しみと言えることなどないでしょう。卑屈さの影がいつも頭をどんよりとさせているわけではなく、黎明の歌はいつも気づかぬうちに人生の旅を奏でています。この命題はまだ何百万人もの若者を悩ませつづけ、幾多の感動的な生命の歌を作曲していくでしょう。
本を閉じて窓の外を眺めると、もとのまま色とりどりの花が生い茂っています。

江南大学法学院社会活動 付瑩瑩

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を読んで

この本を閉じたとき、「こんな小説は読んだことがない」と独りつぶやいていました。
人生の分かれ道に立ったとき、どう選択すれば生命の貴重さと輝きに恥じないだろうかと私はずっと考えてきました。これまで私は両親の期待に従って、祖母の年を心配しつつ、周囲の見解を受け入れながら、小心翼々として過ごしてきました。人生にやりなおす機会はないため、まさに「花はまたいつか咲くが、人はもう少年ではない」という言葉のとおりです。
すると本棚にある東野圭吾の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』がちょうど現れて、その膠着した局面を打ち破ってくれました。なのでその本を手に取ると、しばらく放せませんでした。身体から心まで、皮から骨まで、この本と自分との解けない縁を探しています。
足もとのゆるやかな坂道に沿って歩いているうちに、傾斜がだんだん険しくなり、家もだんだんまばらになり、窓の明かりはほとんど消えていました。しかし遠からぬところの建物に心が動かされるのです。扉の上にかかった看板に、うっすらと「雑貨」の文字が読み取れたので、手を伸ばし手紙を押し込みました。ぱたりと、封筒の地面につく音がかすかに伝わってきました。
雄治はスリムパンツとグレーのセーターを身につけ、カーキ色のコートを羽織って低いテーブルの前に姿勢よく座り、精神を集中して静かに考え事をしています。テーブルの上には1枚の白い便箋が広げてあります。 前略ナミヤ雑貨店さま
私は田舎の貧しい家に生まれ、何ヶ月かのころ両親が離婚しました。小さいときから祖父母に育てられたので、彼らには敬愛と感謝でいっぱいです。小学校5年のとき母が連れ帰った街で今の大学まで勉強しています。母は注意深い配慮と教育をしてくれますが、私に対して非常に高いレベルを求めます。父は母と離婚したことで生活する闘志を失い、ずっと自分の世界で暮らしています。私と祖父母をほったらかしなので、私は父を恨んでいます。私に対する不注意だけでなく、父のギャンブル癖のせいで本来は幸せな家庭が壊れたのです。
小学校から高校まで、私は自分が何をどうすれば母に背かないで済むか分かっており、また祖父母に孝行してきました。今、大学に入って困惑しています。才能の限界で、国内の良い大学に合格はしたものの、専門が思うようにいかないのを今も挽回できていません。将来はどうするべきなのでしょう。まさか郷里に帰って平凡な勤め人になり、結婚して子供をもうけて、老衰して病気と心残りを抱え死ぬことしかできないのでしょうか。
この前、田舎の祖母に電話をかけて、中秋の挨拶をしました。電話からは優しい言葉と心から私を気にかけてくれているのが伝わり、私は彼女の近況を尋ねました。祖母は落ち着いた様子で話してくれました。そのときはご飯を作っているところで、古いメンドリが1羽死んだこと、洗濯物をうっかり池に落としてしまったこと、携帯電話が水に落ちたので新しいものにかえて90元かかったこと、足の皮が破れたが大したことはないこと、父方の叔母からも挨拶の電話があったことなどです。私の内心には早くも波瀾が巻き起こりました。どうすれば彼女の面倒を見られるでしょうか。父は自分のことしかせず、叔母の態度は不明で、祖父は私が高校3年のとき亡くなっています。 人生の分かれ道に立っている私は何を捨て何をとるべきでしょうか。私は作家かフリーライターになって、外の世界を見に行き、人生のさまざまな姿を観察して、ひらめいた考えを書き留めて、他人に喜びと涙をもたらしたいと思っています。今、私は大海を1隻で航行する孤独な船のように、風波、雷雨、霧で自分を見失っています。水中深くの暗礁、氷河がいずれ致命的な一撃となるでしょう。
鬱屈にもだえているとき、ナミヤ雑貨店のことを聞いて希望を懐に押し込みこの手紙を書いています。私の間違いを指摘していただけないかと期待して。 お返事をお待ちしております。
中国出身の少女より
雄治はあまり中国を理解してはいない、小さい雑貨屋を開いている年寄りです。若い時は名もない機械工でしたが、そのお嬢さんにいくつか役に立つ提案をしてあげたいと真剣に考えています。彼は鼻の老眼鏡をちょっと上げ、便箋を広げました。
中国のお嬢さんへ
お手紙は読みました。率直に言うとあまり中国を知らないのですが、道理はいつも通じ合うものだと思います。私の雑貨店を知っているということは、きっと『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を読んだのでしょう。私は「音楽の夢のために家を離れて漂流するも現実の中で少しも歩けない魚屋のミュージシャン」と「家庭の急変に直面して、親心と未来の困惑の中でもがくポール・レノン」の話で、人生の分かれ道に立ち、どう選択するかに答えたいと思います。
魚屋のミュージシャンは夢を追う過程で命を犠牲にしましたが、彼の音楽に対する執着と追求は聞く人が救いを得て生き返る歌となり、彼の創作した音楽も広く伝わって止まるところを知りません。それは彼が最後まで、最後の瞬間まで音楽を固く信じていたからです。彼の父も最後には彼に支持と理解を与え、魚屋を継がせませんでした。君がしっかりと気持ちを持ち続ければ、お母さんもその夢に理解を示してくれると信じています。
ポール・レノンは、父親が商売に失敗したため両親が夜逃げを計画し、逃亡の過程で両親に対する信用をなくしたため彼が別れると、結果的に両親は自殺してしまいました。私たちは両親を信じて寛容に付き合って、その人の身体ではなく、その人の道を変えるべきだと言いたいのです。君がお父さんと互いに助け合いさえすれば、一緒に正しい道へ帰ることも全く可能です。
おばあさんの問題に関してはまだ交流が必要だと思います。中国の高齢者制度と福利制度はどのようなものでしょうか。叔母さんの態度は具体的にどのようなものでしょうか。また、おばあさんが洗濯物を池に落としたということは彼女は自分のことができることを意味します。おそらく単なる不注意です。もう何年かしたら君に面倒を見る能力がついているでしょうから、そう心配しないで前向きに勇気を持ってください。 ナミヤ雑貨店 一字一句を細かく読んで、便箋から頭を上げると、私の目に光芒がひらめきました。生命の美は、奮闘し必死に頑張った後の悔いなき汗にあり、人としての道、万物に対する寛容と哀れみにあるのです。冬の積雪が桜の木の枯れ枝にのしかかる光景は、静まり返りながらも強靱さに満ちています。その木も来年は錦のように、光り輝いて飄々と花を咲かせるのです。いつかはすべてが好転すると信じています。 この本を読んで、私は人がすべて通じ合っていることに気づきました。中国人、日本人とも似かよった人生の悩みや苦難に満ちた選択を抱えていて、たとえ異なる生活環境にいて、それぞれに異なる人生を持っていても、悩みに耳を傾けて、何が心配なのかを聞いてくれる人が必要なのです。それが『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の真意のありかでもあります。

江南大学人文学院修士課程 張思夢

なくした砂時計——『ノルウェイの森』の感想

村上春樹が文壇で名を揚げてからすでに長く、熱狂的な中国の読者もかなりいます。多くの読者は自己分析に似た独白と一部の性愛描写のため村上作品を「私小説」と定義していますが、そのことで読者はプライバシーを覗く心理を満たすと同時に、しばしば小説の最も基本的な細部を見落としています。そのため以下ではこのところ自分が読む過程にずっとある問題について探究したいと思います。それはつまり『ノルウェイの森』の時間性の問題です。 小説の冒頭は主人公ワタナベがドイツ行きの飛行機でビートルズの「ノルウェイの森」を耳にして、やや感傷的に直子を思い出すところから始まり、それから20年前に時間が巻き戻り、直子と東京をそぞろ歩く過程の描写でキズキの死についての説明を混じえています。また続いて発生したあれこれを時系列で描写し、やや飛躍的な時間の選択をすることで「追憶と過去」という永久不変の文学のテーマをある程度実証しています。
小説を読む過程で、読む本能と習慣により、現在(ワタナベ37歳)という時点と関連するシナリオ、文中での挿入または終わりで20年後のワタナベと直子(見たときは直子が死ぬとは分からない)、緑子の「結末」と暮らし向きの補足が出てくるとずっと思ってしまうのですが、どれも出てくることが想定されません。思わず「どうして」と聞きたくなります。どうして20年後なのでしょう。37歳の渡辺の出現は追憶の前奏に過ぎないかのように、さっと消えて痕跡を残しません。中年の男が語り手であることを読者が忘れてしまうほどです。私は、小説がこのように設定されているのは、複数の親しい友人がさまざまな方法で自殺した後もワタナベが思い出を胸に37歳まで生きるのはそれほど簡単ではないことを村上春樹が証明するためでは決してないと思います。
小説を読んだ後にじっくりと味わってみると、小説がそもそも伝えようとしているのは「解がない」困惑で、大人の角度から若いころに起きた物語を振り返るのは、青年期に出会う人やものごとの人生に対する巨大な影響を強調すると同時に、人々の自分の青春に対する困惑と解のなさの描写を深めてもいます。20年の時間でワタナベの年は倍ほどになっていますが、20年後、37歳のワタナベは自分が17歳から20歳の間に経験したさまざまな人やものごとを依然として説明できず、自分の行為が自分の愛する人を傷つけたのかどうかを確定することもできません。誰が亡くなったのも彼と直接の関係がないかのようでいて、彼はまた目撃者のような姿でそこに関わっています。
小説では20年の隔たりをきわめて見落としやすい上に、小説中での時間の把握も「スローモーション」のような時間の描写に現れています。小説中に見えない砂時計があって、9月が過ぎて10月が来た、3月が過ぎて孤独な4月がまた来ると読者に教えているかのようです。村上春樹が厳格に時間の目盛と針の速度を制御し、ほぼ均等な速さの物語の進行を一部でゆるめているのは、挿入法を運用して各種の人の死因を引き継いでいるのでしょうか。言及に値するのは、文中に現れる挿入はすべて「死因の説明」のためだということです。キズキの死因、ハツミの死因、直子の死因ともそうでした。
研究者の大半は『ノルウェイの森林』が表現しているのは青春の煩悶だとしていますが、私は質疑したいと思います。決してすべての青年が17歳、18歳の年齢で8人、9人もの性の対象を持っているわけではなく、決してすべての青年が難解な関係に陥って抜け出せないのでもありません。ここで大胆な推測ができないでしょうか――わざと「遅らせた」時計は青春の最初の20年という時間を3年に圧縮するためで、文の中できわめて集中した物語はワタナベの青春の時間全体(10年、20年)の縮図で、釈明できない問題、判定できない正誤はいずれもワタナベが自らを弁護して落ち着かせ慰めるために17〜20歳の間だったと決めたことなのでは。確かに、ここでは文に対する憶測と瞬間的な悟りだけなので、論証するならばやはり深い研究が必要ですが、ここでは論証しません。
時間性のほか、村上春樹は食べ物の描写についても執拗に近い追求をしています。ワタナベがそれぞれの人と面会する都度、彼らの選んだレストラン、選んだ食べ物、飲んだ酒の品種を村上春樹は入念に描写し、無関係な事物を食べ物と比べてさえいます。渡辺が緑子に彼女への愛を説明するときも「世界中の森の虎が溶けてバターになる」というような言葉を発しており、また開いた桜の花を腐った肉に喩えるといったこの種の比喩は枚挙にいとまがありません。こうした入念な形容や描写は文中で事件の発生している時間を無限に引き伸ばします。その上でこの3年がワタナベの青春全体に広がっているのです。
理由もなく抹殺された20年は、まるで村上のなくした砂時計のように、あたかも根も葉もないかのように消えてなくなり、それでいて無常を回想します。スローモーションのような描写も青春という砂時計の中の砂粒の泳ぎをゆっくりさせ、そのすべては青春のはかなさにいっそうの深い感銘を与えるためのようです。

山東大学(威海)商学院 商工業マネジメント学科 張琰

山東大学(威海)商学院 商工業マネジメント学科 張琰

 1年の前学期、本学図書館の日本語書籍加工学生アルバイトチームに加わりました。チームの日常業務は開封と検収、ラベルの印字と貼付、データ登録などです。これらのこまごまとした仕事には、入念さ、根気良さ、厳格さが求められます。寄贈図書の配架後、利用者が必要なときすみやかに見つけられる状態を確保することで、適切に日本語寄贈図書の効果を発揮させるためです。
日本科学協会の寄贈図書はとても良く利用されています。課外活動でバスケットボールをしているとき、知り合いの翻訳学院日本語学科の同級生と話していて聞いたのですが、日本科学協会の寄贈図書のおかげで読書の機会が増え、中国国内では買えない日本語の原書に多く触れられるようになったそうです。寄贈図書を読むことで知識が広がると、学習にも将来の求職にもメリットは多いとのことでした。
日本語書籍加工チームの一員としては、ふだんの仕事の中でも多くの利益が得られています。日本語書籍の加工はやや味気ないものですが、しかし厳格な作業の流れに根気と入念さが鍛えられ、仕事に対しても学習に対しても知らず知らずのうちに前より真面目になりました。日本語が分からないのでそれまではそもそも日本語書籍に関心がありませんでしたが、加工作業に参加するようになって興味を持ち始め、簡単な読み物に出会ったときはめくってみるようになりました。あまり専門的な本、日本語の単語が多い本は見ても分かりませんが、文学類の本、漢字が多い本は、無雑作にめくってみて、いけるような気がします。
より日本語原書のニーズが満たせるように、もっとたくさんの寄贈図書を本学が頂けるよう希望しております。自分は今後もたくさん本を読み、文化と情報の教養を引き上げられたらと思っています。

山東大学(威海) 商学院 経済管理学科 趙妍苑

山東大学(威海) 商学院 経済管理学科 趙妍苑

 1年の前学期、図書館の日本語加工室でアルバイトを始めました。これほど多くの日本語書籍に触れたのは初めてで、自分とチームメイトが加工した本が書架に並び全学に公開されるのを見ると、内心とても達成感があります。
これらの日本語寄贈図書は関連範囲がとても広く、経済、歴史、科学、地理、文学、生活の常識などが含まれているということが徐々に分かってきました。日本科学協会の寄贈図書はかなり便利で、これらの本を通じて日本語と日本を知ることができます。同時に中日の間の友好の橋がかかり、二つの国の間で文化交流とお互いの理解が増進されます。
私は経済管理学科ですが、日本科学協会の寄贈図書は私の学習と生活に大きな変化をもたらしてくれました。これらの本に触れてから、日本語に対して興味が湧き始めました。日本語を学ぶ道にもう足を踏み入れていますが、これらの本は私が日本語を理解する近道です。日本語を独学していると困難も少しありますがとても面白いので、あとで日本語の履修を選択すれば日本語と日本をもっと理解しやすくなるかなと考えているところです。
比較的深い印象がまだ残っている日本語の本は、東野圭吾の『白夜行』です。作中に惹かれるエピソードがあり、「自分の空には太陽がなく、いつも闇夜だが暗くはない、太陽に取って代わったものがあるため、太陽ほど明るくはないが自分には十分だ。この光を頼りに闇夜を白昼と思うことができる」というような概要だったと思います。このエピソードが好きなのは、気落ちしたとき元気づけてくれて、困難に打ち勝ち曙光を見るまで頑張ろうという気にさせてくれるからです。 日本科学協会から本学に頂いた図書に感謝を申し上げたいと思います。おかげで私のような学生も日本語と日本を理解するとても貴重な機会が得られているのです。

山東大学(威海)商学院 商工業マネジメント学科 王麗娟

弱水の一すくい〔訳注:素敵なものとの出会い〕

山東大学(威海)商学院 商工業マネジメント学科 王麗娟

2016年12月、縁あって本学図書館で働きながら学ぶ機会を得て、日本語書籍の加工と整理を行いました。それからの仕事の中で、手元で加工している本が日本科学協会から本学に寄贈されたものだと知りました。
日本語専攻の学生ではないため日本語ができないので、当初は困難の連続でした。データを記録するときは先生がプリントしてくれた日本語キーボードに対応して1文字ずつ入力するのが本当に面倒でした。しかし素人だからこそ、日本語以外が専攻の私たちは余計に身を入れて作業したので、日増しに接触が増えるうち、日本語書籍に対して次第に好感を持つようになりました。私たちの中国と日本は同じ東アジアにあり、古代から今まで頻繁に政治、経済、文化の交流と衝突を経てきたため、多くの文学作品、文字から文法や文章全体の骨組みにいたるまで、実は通じ合っているところがあるのです。日本語書籍をゆっくりと理解し探ることを通じ、なんと内容も少しは分かるようになってきました。
最初にざっと目を通し鵜呑みにした日本語の読み物は、飲食の文化に関する本のようでした。書名も分かりません。本の文字が多すぎず、画像が比較的多かったので堪能できそうに見えたのです。本の全体から見た目、香り、味の三拍子を感じましたが、国ごとに飲食の文化が非常に大きく違うという印象が最も強烈でした。
2冊目に読んだ本は『長英逃亡』です。長英という名前の同級生がいたので手に取りました。書名の中に私の同級生の名前と同じ漢字があるのを見て、とても面白いと感じ、一体どんなことが書かれているのか急いで読んでみたいと思ったのです。上下2冊に分かれており、内容が比較的複雑で、読む量がとても大きかったので、読む上での障害はたくさんありました。ですが百度翻訳というサイトに助けを借りてどうにかこうにかこの本を読み切りました。そのことを長英さんに話すと、なんと彼女もこの本に興味を持って借りに来ました。そもそも本を読もうと興味を持ったきっかけはこうしたささいなことですが、考えてみると面白い気がします。
文学に国境はありません。多く外国の文書を読み、さまざまな文化に触れることができれば、きっと一生役に立つ財産になります。人生で触れられる素敵なものはたくさんあるので、少しでも多く楽しみたいと思います。

山東大学(威海)商学院 商工業マネジメント学科 何誠康

山東大学(威海)商学院 商工業マネジメント学科 何誠康

 2016年、本学図書館の日本語書籍加工学生アルバイトチームに加わりました。自分が関わった日本語寄贈図書の加工作業は、一部データの加工、ラベルの印字と貼付、配架といった先生のお手伝いです。参加してから、日本語寄贈図書の加工作業が手順の多く面倒なものだったのだと気づかされました。一つ一つのプロセスを流れに沿ってまじめに処理することで、日本語資料がフロアに届いてから利用者が必要なものをスムーズに探せるようになるのです。日本語寄贈図書の加工作業に参加したことで多くのことが学べました。一番は、念を入れ厳格に仕事をする習慣がより強く身についたことです。
本学が日本科学協会から頂いた日本語書籍はとても良く利用されています。特に翻訳学院の日本語専攻の学生にとって寄贈図書は親友に相当し、彼らの学習にとても役立っています。自分は商学院の商工業マネジメント学科で日本語が分かりませんが、寄贈図書のうちビジネスやマネジメントに関係する本や文化、文学関係の本は読んでいます。日本語が分からなくとも、漢字が多い本はあるので、そうした本を読めばだいたいの意味が分かり、かなりの収穫もあります。
日本科学協会の寄贈図書は生活、学習と科学研究にとても役立っており、これらの書籍を有効に利用すれば、もっと良く文化交流を行うことができます。これらの書籍の中からいくつか啓発が得られ、日本の文化とその他の方面への理解が進み、マネジメントの専門知識のほか、多くの文化と文学の知識を補充しています。今後もより多くの日本語図書が頂けて、日本の文化を学び理解する道が増え、もっと良く視野を広げられることを希望しております。

山東大学(威海)商学院 商工業マネジメント学科 曾鳳玲

山東大学(威海)商学院 商工業マネジメント学科 曾鳳玲

 十数年来、日本科学協会は勤勉なお年寄りのように図書寄贈事業を通じて中日両国の友情の橋を強化し続けています。ふと、日本の作家、村上春樹は文学の啓発をくれただけではないと思いました。彼の心の奥底には中国コンプレックスがあり、その著作の中にいつも潜伏して刻苦勉励しているのだと。
2016-2017年度、本学図書館の日本語書籍加工アルバイト学生チームに加わり、間近で日本語の原書に触れることができました。日本科学協会から本学図書館が頂いた書籍は、日本語が専攻の学生や日本語を選択履修している学生にとても便利で、商学院の学生である私でさえ、本棚でよく見かける『源氏物語』は印象に残っています。 『源氏物語』は日本の古典文学の名著で、「もののあはれ」の時代を切り開き、日本文学の発展に対して巨大な影響を生じ、日本文学の高峰と称えられています。宮中の闘争が描かれており、もっと多く日本の民俗文化の知識を得ようと読者つまり私たちを奮起させる力もあります。
文学には国境がないので、任意の国と他国をつなぐ橋になれます。日本科学協会のこの事業のおかげで中日両国がより近くなりました。個人的には、中国でもこれに似た事業を行うことで日本の人々にもっと深く中国を知ってもらい、中国に対する偏見や誤解を早いうちに解消して、いっそう理性的な態度で当時の中国侵略戦争に向き合ってもらえばいいのにと思います。

山東大学(威海)商学院 会計学専攻 牟淑琦

山東大学(威海)商学院 会計学専攻 牟淑琦

 図書館の日本語書籍加工室の仕事を始めてもう半年です。最初にアルバイト参加の申請をしたときはお小遣いを稼いで生活費の足しにするつもりでしたが、日本語書籍と接触を続けるうちに知らず知らずとても大きい収穫がありました。
日本語書籍加工のお手伝いをすると、お小遣い稼ぎの願望が満たせるだけでなく、日本語書籍の中を漫遊する満足感も得られるということが徐々に分かってきたのです。もしここに来ていなかったら、日本語書籍に間近で触れるこうした機会を持つことはなかったでしょう。いつの間にか日本文化を理解し、無意識のうちに科学の知識を得て教養を高められるのはなおさらです。
届いた日本語寄贈図書をよく見ると、バリエーションが豊かでジャンルが揃っていることに気づきます。科学の専門書から文学の名著まで、詩歌から児童文学の読み物まで、受験の知識から大衆小説まで、社会評論から企業管理まで、そして心理学などの各種目録がすべてカバーされているのです。最も満足できることはと言えば、本棚から日本の小説を持ち出し、席に戻って事細かに味わうのに勝るものはありません。
私は自分の専門である会計学がとても好きなので、日本語寄贈図書の中から商業、貿易、管理などと関係する書籍を探して読んでみるのがもっと好きです。日本語が専門ではないため言語の優位がなく、精読することはできませんが、ちょっとめくってみると様々な企業の管理モデルが分かり、管理の知識を簡単に学ぶことができ、しかも別の角度から問題を考え解決する試みを学べます。もちろん文学類の本も好きで、特に好きなのは大衆小説です。こうした本を味わっていると楽しみが得られ、悩みを忘れて、見聞を広められます。
本学にこれらの日本語書籍をご寄贈くださった日本科学協会に真心から感謝を申し上げたいと思います。今後は興味を感じた本をよりたくさん読むつもりです。いつか機会があったら日本に行って見てみるのが一番だろうと思います。

山東大学(威海)商学院1年 姜涛

山東大学(威海)商学院1年 姜涛

 初めに、日本科学協会から本学に頂いた図書にとても感謝しております。おかげで日常生活が豊かで多彩になり、知識も広げられました。
私は商学院の学生で、専門学習の合間に図書館で本を読んでおり、日韓書籍コーナーで日本科学協会の寄贈図書に触れました。当初は日本語も分かっていませんでしたが、めくる本の数が増えるのに従って、そこに推察も加えると、いくつかの簡単な日本語が分かるようになりました。これは私にとってはとても大きな進歩だと言わざるを得ません。
中でも人文社会科学類の本が好きで、ざっと日本史の本を読むことで、それまでより体系的な日本史の知識が得られました。以前は日本に対する理解がわずかでしたが、今はより全面的になり、日本の文学のスタイル、特徴と一部の学者に一定の理解ができ、知識が広がっています。深く印象に残っているのは『日本文学全集』というセットで、多くの本があり、小説、詩歌、散文すべてがあるようで、読んでみるととても面白いです。
ともあれ、日本科学協会からの寄贈図書には感激の気持ちでいっぱいです。おかげで日常生活が豊かで多彩になっているのです。

吉林大学3年 王家駿

日本科学協会から学術活動センターへの寄贈書籍の感想

2016年度が間もなく終わりますが、収穫の多い年でした。学習面で達成できたこと、能力面で鍛えられたこと、生活面で感じたところがあります。学院で開かれた一連の講座、クラスでの講義、そして読んだ一冊一冊の本はすべて私達の一生の財産になるでしょう。
日本科学協会による吉林大学外国語学院学術活動センターへの図書寄贈事業のおかげで、まだ幼い自分たちの大学生活を見届け成長を見守ってくれる本たちが、学術活動センターの本棚で価値を保ち続けています。先生、同級生、日本語の愛好者とも日本語原著を直接触れ利用できる機会が得られ、ネットで本を取り寄せる手間が省けました。貴重な図書資源を提供してくださった日本科学協会に感謝しています。読んだものであれ、まだ読んでいないものであれ、生活のささやかな思い出になります。
先生と同級生と酷暑を顧みず、ポスターを貼って、書籍を整理しました。半日もかからず、学術活動センターをすっきり整理できました。書籍の種類は豊富で、学術活動センターにとって大きな収穫となっています。
日本語学科の学生のひとりとして、謹んで、このたび吉林大学の外国語学院学術活動センターに書籍を寄贈してくださった日本科学協会に心から感謝を申し上げます。書籍は人類が進化するきざはしです。もっと多くの同級生が熱心に読書し、学ぶようになってくれることを望んでいます。貴重な機会を大切にして、視野を開拓し、自身の日本語のレベルを高めます。また、もっと多くの団体や個人が中日の友好的な文化交流に参与し貢献することを心から望んでいます。

吉林大学 3年 梁夢宇

吉林大学の「中日交流の窓」寄贈書籍を読んで

「長春中日交流の窓」の誕生と一歩一歩の成長を目にすることができ、吉林大学外国語学院日本語学科の学生としてとても幸いです。
多忙な学業の合間によくこの静謐な一角を訪れ、気の向くままに日本語の原書を取ってゆっくりと味わっています。ここの書籍は数が多いだけではなく、日本の古典文学から最近の雑誌まで何でもそろっていて目を通せる範囲も非常に広いと言えます。中でも一番のお気に入りは『AERA』という雑誌です。
初めてこの雑誌に触れたのは2年次前期の日本語総合実践授業だったと覚えています。先生が日本社会の時事評論に関する文章2編を解説してくださったのです。うち1編はタクシーの運転手が乗客にシートベルト装着を強制するべきかの問題、もう1編は中国の訪日観光客による爆買い分析でした。文章は短いながらも鋭くて力があり、急所をずばりと言い当てていて深く考えさせられました。日本の現代社会の問題にとても興味を持ったので、授業が終わった後すぐ先生に文章の出所を尋ね、どちらも『AERA』からの抜粋と知って書名をメモしました。日本へ行く機会があったら読もうと考えていたのです。ところがその半月後、「中日交流の窓」に日本科学協会から寄贈された『AERA』が並んでいることに気づき、この上なく興奮しました。至宝を手に入れたかのようにすぐ読み始めると、精巧で美しい装丁、流暢な文字、生き生きとした画像……まだ日本へ行ったことのない私でも、これほどこの国を近くに感じられるものなんだと気づきました。先生が抜粋されていた時評コラム「養老孟司の大脳博物館」までページが進むと、すぐ新しい文章に引きつけられました。文中では首相から一般人に至るまで「出遅れ感」に欠けている、つまり単調にいくつか物事の存在を肯定して多くの「何故」という問いを拒絶する心理状態が批判されていました。これは私たちがよく言う「批判的な考え方」と同工異曲なところがあると思います。読書しているとき、講義を受けているとき、人や物事に接するときなどいつでも多くのことを考え自分の考えの体系を形成することです。『AERA』のおかげで養老孟司という作家の作品により関心が持てるようになり次第に日本人の思考を理解し始め、心に思うものがあります。こうした言語学習そのものを超えた文学の力に酔いしれた私は、日本へ行く機会があったらきっと遊びに夢中にならず、すばらしい異文化体験を入念に計画しようと決意しました。
「人に授けるに魚を以ってするは、人に授けるに漁を以ってするに如かず」と言います。最後に、日本科学協会に心から感謝を申し上げます。くださった書籍が前途の茫漠とした青年の行く先を照らしてくれました。もっと多くの新しい日本語原書が何代も何十代もの同級生たちに役立ってくれるよう、さらに期待しております。

吉林大学2年 江玉芬

日本科学協会から学術活動センターへの寄贈書籍の感想

日本科学協会から吉林大学外国語学院に書籍が寄贈されたと知って私はたいへん興奮して外国語学院の学術活動センターを訪れ、見渡す限りの日本語の書籍を目にしてとても感激しました。書籍の種類が非常に多く、古代史から現代社会まで、経済や人文から生活の常識まで、伝記から神話まで何でもそろっていて、これらの書籍は私たちの日本語学習にとても良い素材を提供しているだけでなく、今の大学生の知識量と精神世界を豊かにしてくれています。 2年生になったばかりの私にとって、こうした日本語書籍の中にはちょうど今の日本語レベルにぴったりの本があります。たとえば神話や生活の常識といった類の書籍からは、同じ語義のもと、本場の自然な日本語の表現法が学べます。私の日本語のレベルより高い本もあり、歴史や経済学の書籍では言葉遣いや表現が今の私にはよく分からないのですが、そこから新しい分野の語彙や表現法をくみ取ることはできます。こうした分野の日本語表現に講義で触れる機会はとても少ないのですが、日本語を深く学ぶには非常に重要な知識なので、しっかり学び理解する必要があると私は思っています。
日本科学協会の寄贈書籍は日本語の難度が高いものも低いものもあり、日本語レベルの低い人から高い人までそれぞれの段階の需要に合っていて、しかも書籍の関連する知識がとても幅広く、今の大学生の興味や必要とする知識にぴったりなのです。日本科学協会のご寄贈と吉林大学外国語学院の学術活動センターの提供する場所に感謝しています。おかげで豊富な書籍に触れる機会ができました。この得がたい機会をしっかりと利用してもっと多く書籍を読んで自らの能力を高め、将来は自分の力でこの感謝をより多くの人に伝え、社会に報います。

吉林大学2年 張涛

日本科学協会から学術活動センターへの寄贈書籍の感想

日本科学協会が吉林大学外国語の学院学術活動センターに書籍を寄贈してくださった今回の活動について、同センターの蔵書が充実しただけでなく、より多くの学生と日本語愛好者に日本語原書に直接触れ利用する機会となり、貴重な原書資源を提供してくれたと思っています。これまで「中日交流の窓」と学術活動センターの発展に関心を寄せ支持してくださっている日本科学協会に、日本語学科の学生として謹んで心からの感謝を申し上げます。また、もっと多くの団体や個人が中日の友好的な文化交流に参与しもっとすばらしいページを書き加えられるよう心から望んでいます。
今回ご寄贈いただいた書籍は種類が非常に多く、広範な知識が網羅されており、さらに特徴的なのは今一番人気の漫画や雑誌が主体で学生の目をがっちりと引きつけていることです。学生のニーズに合致しており、日本語読書に対する興味関心を養う上で重要な意義があると思います。しかし日本語学習者として、私は言語そのものを学ぶことが主体ではなく、言語は媒体であって、そこにある内容こそが精髄だと考えています。なので個人的には、漫画、雑誌を基礎に、より多く中日関係、経済と貿易の交流、日本の大衆の思想といった内容の、時代を読み解く書籍も良い選択なのではと思います。日本語学習の最後にはこれらの肝心な内容を離れられません。思想面での衝撃をもたらすかもしれませんが、多くの考えとぶつかってこそ、多くの霊感が沸き上がるのです。
以前に外国語学院の教員を務めていた森屋美和子先生は、ひとつの新しい言語を学ぶことは新しい世界の見方を学ぶこと、つまり新しい世界の門を開けることだとおっしゃっています。図書の寄贈事業のおかげで、より多くの人が言語と文字を通して、言語そのものを学べるとともに、新しい世界を味わうことができるようになります。 図書の寄贈による目先の利益は少なくとも、恩恵は後々まで及びます。より多くの中日友好団体や個人が無私の貢献をして、学術活動センターの明日がもっと良くなり、中日関係の明日も更にすばらしくなることを確信しています。

吉林大学2年 梁馨予

感想文

日本科学協会から外国語学院学術活動センターにさまざまな書籍が贈られました。自然科学から人文、歴史、童話絵本、小説、散文など、種類が非常に多く内容が豊富で、かつ難度が適切です。純粋な日本語を学ぶのに便利であると同時に、視野も広がり知識が豊かになりました。
『がんばっている人の物語』という短編集を借りてみたところ、本の中では実際にあった小さな物語が述べられており、例えば、獣医たちが協力して病気のイルカに人工の尾びれを作った話、善良な人がピエロに扮して病院を慰問し病気の子供達に笑顔を届けた話などです。文章の1話1話は短めで言葉も比較的生活に近く、読んでいる間に日本の社会を理解できて、2年生が語彙を増やし知識面を広げるのにとても適しています。
1年のときは日本語のレベルが限られていたため、日本語の原書を見るのは恐れがありましたが、2年になってから難度のちょうど良い文章が見られるようになりました。日本科学協会の寄贈書籍は幅広いので、今後もこのように優れた資源を利用してたくさん本を読み、自分をもっと豊かにしていかなければと思っています。

吉林大学2年 冷心宇

宝を尋ね当てて

読書がとても重要であることは誰でも知っています。読書は人を豊かにでき、たとえ外に出なくとも広大無辺な世界を見ることができます。
しかし本が限られていると、人もこの世界のすべてを見ることはできません。たとえば中国では大多数の人が中国語の本しか読めないなど本の限界はたくさんあります。 しかし私は幸いなことに日本語を学んでいるので中国語以外の本も読むことができます。更に幸運なことに、私たちの学院は日本科学協会から寄贈を受けました。 異なる言語、異なる文化、異なる世界の描写です。本の世界の中では、まるで日本人の眼中にどんな景色があるのかを感じ取れるかのようです。
私は戦国時代の話、戦国武将の話が特に好きです。しかしたとえ輝かしい名声のある真田幸村でも、中国で見られる史料は多くありません。そういう時はいつもとても気落ちしていました。ところが一昨日、日本科学協会から寄贈された図書の中にその時代のことについて中国語の本に載っていない知識が書かれている日本語原書があることに気づいたのです。宝を尋ね当てたように本当に気が晴れました。 こうした本に読みふけってしまい、抜け出せずにいます。

吉林大学1年 羅心遥

日本科学協会から学術活動センターへの寄贈書籍の感想

日本語の初心者として日本語の原書を適切に読むことはとても役に立つと感じています。読んでいると本場の日本語の使い方を把握できるだけでなく、視野を広げることもできるため日本という国と日本語という言葉に対する興味が増します。なので日本科学協会から日本語学科の学術活動センターにご寄贈いただいた書籍にはとても感謝しています。また意見を多く取り入れこの事業をさらに輝かせてくださった同協会にも本当に感謝しています。
私は書籍の種類がいっそう幅広くなり、日本の各方面、各領域に関わることを望んでいます。私は日本の文化に関係する書籍の方が好きです。文化を深く理解しなければ民族や国の心理を理解しやすくはならず、より柔軟な日本語の運用もできません。それに私自身が日本の民俗文化をとても好きなのです。
もう一つの提案は、寄贈図書に段階を付けてもよいのではということです。年次が異なれば日本語レベルも異なるため、日本語をつかむ能力も、書籍に対するニーズも異なります。私のような新入生には簡単で面白い本があれば十分です。
以上が簡単な感想です。改めて、日本科学協会からの寄贈図書に感謝を申し上げます。

吉林大学1年 趙東君

日本科学協会から学術活動センターへの寄贈書籍の感想

日本科学協会から本学院の学術活動センターに大量の書籍をご寄贈いただきました。書籍は種類が非常に多くて、関連する範囲も広範です。日本語学習を始めたばかりの大学新入生にとって、早くから日本語の原書に触れることは言語学習の総合的能力を極めて大きく引き上げる利益がありますが、現在のレベルで日本語の原書を読むことが明らかに困難なのは認めざるを得ません。では今回の寄贈図書にある日本語の子供向け絵本「図書館のライン」を例にとりましょう。本書は幼児教育向けの絵本で、精巧で美しい挿し絵が豊富で、文字は少なく話の内容も比較的簡単ですが、文章は決していつもの教科書のようにできる限り漢字でかなを置き換えたものではありません。この本にも一部は漢字での表示がありますが、漢字で書けるところをかな書きされている部分もあって、かなの大きな塊を目にするたび、どこで区切って辞書を引けばいいのか分からなくなります。しかも、ただの絵本だとはいえ多くの語形変化が登場し、文型はこれまで学んだ範囲(一年次前期の内容)をはるかに超えています。時には邪推するしかなく、文意がきちんと理解できているか確証がないこともあります。この冬休み、クラスで3冊の日本語の原書を選んで鑑賞しました。このうち「おばけのはなし」という本にはたくさんの変形した複合語があり、電子辞書を引いてもネットで調べても、原型が分からないので意味が見つからず、日本の古語に関わるところも調べが付かなかったので、読むのがとても大変でした。それでも、読む過程ではやはり語彙量がとても増え文章の理解力も高まったので、とても有益ではありました。絶えず学習を深めていくに従って、読むうえでの障害をひとつひとつ解決できるようになりたいと思っています。

吉林大学外国語学院司書 于涵

日本科学協会寄贈図書の利用情況について

外国語学院図書資料室は日本科学協会から寄贈された書籍を科学的な方法で分類し、図書目録を作成して整理し1冊ごとに登録カードを作り教員や学生に向けた貸し出しカードとすることで貸出業務を行っています。目下ご寄贈いただいた書籍はすべて配架し、教員や学生に公開しています。利用率は高く、また関連書籍への評価も高いようで互いに勧め合っています。
最後に改めて、日本科学協会の寄贈図書に感謝を申し上げます。

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