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公益財団法人 日本科学協会

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活用者からの声

中国の図書活用者からの声 2021

※原文が日本語の声は、原文を尊重して手を加えず掲載しました。
原文が中国語の声は、原文に忠実に和訳して掲載しました。

紀宗伯 雲南民族大学外国語学院日本語学科4年
返信指導:梅子先生

図書を寄贈してくださった日本の皆様へ

雲南民族大学外国語学院日本語学科4年 紀宗伯

まず、今回の図書寄贈にとても感謝しております。目下、国内でまだ入手しにくい日本の文献のため、今回の図書寄贈により当地の学生が手に取れる日本の文献資料の範囲が大幅に広がり、日本語学習に多大なる助けとなっています。改めて心から感謝いたします。

まだ本学図書館の寄贈図書は整理途上で、私たち学生が読むことはできませんが、翻訳図書チームの一員として、寄贈図書を頂けたと先生から知らせを受けたときから非常に期待しており、気持ちがはやっています。図書そのものだけでなく、書名の翻訳活動も自分の日本語の技能を鍛練するすばらしい機会なので、迷わず応募しました。翻訳する過程では、先生に学術面、翻訳技能面での助けを求める必要も、自分で辞書や資料を当たる必要もあります。教員と学生の感情を促進するだけではなく、日本語の問題を解決して、関連資料を調べる能力も高まり、一挙多得だと言えます。

また、翻訳する過程で、ご寄贈いただいた書目に文学、自然科学、哲学、生活関連などほぼすべての学術分野が網羅されていることに気づきました。これは教科書から跳び出して、日本の文化を知り、知識を拡げるのに力強い支援となります。

翻訳が終わると、参加したみんながこの上ない達成感を得られ、自身の日本語学習に対する自信を強めて、また日本語学習の楽しみを発掘しました。それもこれも図書寄贈活動のおかげです。4年生で卒業間近なので、引き続き次回の活動に参加できないのは残念ですが、後輩達が日本側の皆さんと共にこの活動を続けていって、双方の友情を深め続けてくれることを期待しています。

改めて、今回の図書寄贈に心から感謝を申し上げます。

孫旭萍  浙江越秀外国語学院  文献建設部主任

一衣帯水で、歴史が長い

浙江越秀外国語学院図書館は日本科学協会から長年の多大なるご支持を頂いております。2014年以来たくさんの寄贈図書を頂いており、この場で日本科学協会に心から感謝を申し上げます。

寄贈図書の内容は言語学、文学、哲学、社会科学、教育、歴史、文化など多くの学科をカバーしており、当館の蔵書が充実しました。学術研究、収集、利用の価値があり、教育にも研究にも助けとなっています。特に日本語が専門の学生は、日本語の原書を読むことにより、日本の社会、経済、文化などの各方面の理解や研究に対する興味を奮い立たせています。日本語に対する学習と理解がさらに深まり、日本語の水準も向上できています。また、日本科学協会の寄贈図書を通じて、中日友好の橋が架かり、中日両国民の間の友好的往来、平和な世界の共同建設を促進しています。

今年、当館は日本科学協会通じて立教女学院から7万5千冊以上の書籍を頂きました。蔵書資源の充実と同時に、より多くの読者が大いに利益を受けられると確信しております。

浙江越秀外国語学院図書館は、改めて日本科学協会に心からの感謝と敬意を申し上げます。貴協会が変わることなく本学の発展にご関心ご支持をくださいますよう、より多くの読者がこれらの貴重な知識の財産を共有できるよう期待しております。

浙江越秀外国語学院 図書館

「笹川杯本を味わい日本を知る作文コンクール2021」の総括

「テキストの美しさを感じ取り、読書の楽しみを享受し尽くして、異国の情緒を感じ、両国の交流を促進する」このコンクールは本学の読者の視野を広げ、日本の社会、経済、文化といった分野に対する理解と研究を深めるだけでなく、活字を通した交流により中日両国の文化の認識と理解を促進するものです。当館が企画して読者の支持と参与を受けた今回の「本を味わい日本を知る」には102本の応募がありました。このうち本学の応募作品26本が学内の一、二、三等賞を獲得して一等賞2本が決勝に進み、予選の役目を果たしました。今回大会の総括は以下のとおりです。

一、十分に重視して適切に実施

「笹川杯本を味わい日本を知る作文コンクール2021」の通知を受け、当館幹部がこの大会を重んじてワーキンググループを設けました。学内予選計画を定めて手順を細分化し、責任分担を決定して、運営の効率と秩序、公平で公正な展開を確保しています。

二、オンライン、オフラインでの全面的な宣伝

当館は微信公式アカウント、公式サイトなど複数のチャネルを通じて時間や空間の制約を受けないオンラインでの宣伝を行い、周期的告知やカウントダウンなどの手法で大会の開催を広報しました。「他山の石」モデルで今期とそれまでの受賞作品を掲載し応募者の参考に供しています。「本で味わい日本」コンクールを当館の毎年の「読書月間」活動に取り込んで恒例行事化すると同時に、図書館を利用する学生のコミュニティ「図書工作(活動)管理委員会」の組織力を生かしてオフラインでの宣伝も行いました。同輩の中でオピニオンリーダー効果を発揮して、自ら手本を示し、成果を波及させて、大会参加を試みる学生読者を増やしています。

三、指導を重視して質を向上

今回大会は5か月近くで102本の応募作品が集まり、全学の9つの学院、32の専攻を網羅しています。当館では学内の中文ベテラン教員を招請して公平、公正、オープンな審査と採点を行いました。何度もの選別を経て受賞作品26本を選出し、証書と賞品を授与。その中から優秀作品「花とイバラと少年」、「書簡と情愛」の2本を選出し、何度も丁寧に指導して決勝戦に推薦しました。今回の応募作品は主題が分かりやすく、その意図に沿って書かれているものばかりでした。大体において文の流れがよく言葉遣いも優美で、適切な表現方法を使ってテーマを鮮明にしたものや、読書体験と悟りが深いものもあり、本学読者の良好な文化的素養が反映されていました。

今回大会では良い成績が得られ、この場を提供してくださった事務局に感謝しております。当館の指導部や本学の教員による貢献と、全学の教員や学生の積極的な参与、支持にも感謝しております。当館は、これからも変わることなく読者の興味を高めるべく務めていきます。

本を味わい日本を知る作文コンクール2021
本を味わい日本を知る作文コンクール2021
本を味わい日本を知る作文コンクール2021
本を味わい日本を知る作文コンクール2021
本を味わい日本を知る作文コンクール2021
本を味わい日本を知る作文コンクール2021
本を味わい日本を知る作文コンクール2021
本を味わい日本を知る作文コンクール2021

初昕蔚 山東大学(威海)2018年度 日本語

『伊豆の踊子』を読んで

78年前に川端康成という人が書いた、ある伊豆の踊り子についての物語は、淡く微かな哀愁を帯びています。物語の本筋は簡単で、少年の初恋です。もう少し話すなら、山の薄暗い季節に、大学の予科で学ぶ少年が、上品な旅の中で、美しい踊り子に出会いました。ここまで書けば、いかに品のいいものかは分かるでしょう。湯ヶ島はかなり古風かつ質朴な小島で、山、水、木々があって、気晴らしに必要な景物がおよそそろっています。学生には贅沢ではない景勝地であり、芸妓には芸能で生計を立てるのに適した土地です。

物語はその湯ヶ島から始まります。少年は旅の途中で初対面の踊り子に一目ぼれをしているので、ほぼ初恋の物語だと言えます。「ほぼ」と言うのは、その二人は世間の人が想像するような睦言を交わして幸福なひとときを過ごし、そして永遠の愛を誓うといったことをまるでしていないからです。彼らは何度か振り返っただけで、あってないような真情を幾筋かの涙で語っただけなので、涙が流れ落ちる間に、青臭くて煙や霧のような少年の気持ちを映し出しています。

日本は島国なので、日本人の腹の底にはうっすらと絶望の気分があふれています。東山魁夷も、村上春樹もそうです。川端康成も当然その例外ではありません。彼は人の気にする初恋を濃厚な日本の情緒で東方の美感たっぷりに染め上げています。またそうした日本人に特有な哀愁、退廃により、文章全体に『北国の春』のメロディーがあふれています。日本の楽曲には音の繰り返しがつきもので、まるでいつも終わりを予告しているかのようです。恐らく踊り子らが弾き語りする歌もそうなのでしょう。

全文を通して燃えるような言葉がなく、人生経験の浅い子供に向いています。まだ14歳の踊り子が頭を下げる都度ほほえみ、お辞儀をして、はにかむ瞬間にはえも言われぬものがあり、八重桜の散る中で舞う姿が想像できさえします。

伊豆は東京と異なり、伊豆に東京のにぎやかはありません。奈良とも異なり、奈良の英知もありません。京都とも異なり、京都の昔の趣や余韻もありません。伊豆にあるのは、閑散とした憂鬱と純真な自然ぐらいではないでしょうか。そうした憂鬱や自然はまたおぼろげな初恋にうってつけなので、この物語は伊豆で生まれてこそ情理にかなっていると感じさせるのです。

最後に、この情理にかなった土地で、ちょうどよい季節に生まれた初恋の物語には、やはり盛り上がらない終わりがありました。「私」は結局やはり帰ってしまい、踊り子と出会ってからの日々の中で、二人はこの薄い紙を破ってしまうことなく、言葉にもしませんでした。「深い意味が厚いことを知り、言葉のない中で憶えている」という古い言葉さながらです。

姚心語 山東大学(威海)2018年度 日本語

汚れのない世界
『宮沢賢治童話悦読選集』を読んで

宮沢賢治は日本の昭和時代初期の詩人、童話作家、農業指導家、教育家、作詞家で、敬虔な仏教徒、社会活動家でもあります。宮沢賢治の時代は一世紀ほど前なので、文明の巨船は止まることなく前進していたかもしれませんが、彼の残した軌道は永久不変のものです。それは汚れなき心の追求、清らかな魂へのあこがれ、そして夢を守り抜くという馬鹿げた期待。そうしたものが彼のペンを通じて感動の物語に変わり、私たちの胸の内を流れ、心を洗い流すのです。

『宮沢賢治童話悦読選集』はだれもがよく知っている童話7作品を精選したもので、『注文の多い料理店』、『猫の事務所』、『セロ弾きのゴーシュ』、『よだかの星』、『雪渡り』、『どんぐりと山猫』が収録されています。作品は内容が清らかで含蓄があり、見事な思想や発想に満ちた童話の世界を読者に見せてくれます。日本語の原文は文字が精錬され、文章がなめらかで、読者はその精妙な文章を鑑賞してすばらしい物語を味わえるだけでなく、綿密に読むという方法を通じて日本語の読解レベルを高めることもできます。

ここでは『猫の事務所』を例に、この清らかな世界のカーテンを開こうと思います。物語の舞台は猫の事務所です。猫に関わる各種の事務を処理する最高機関で、猫という猫が何としてでも入りたがるところです。しかしそこには竃猫がいます。竃猫は猫の世界で卑しまれる最下位の序列で、いつも竃で寝ているためにすすけて汚いので「竃」の字がついています。他の猫は清潔で元気なつもりなので竃猫を相手にしません。また竃猫は努力すればするほど他の猫の嫌悪を招き、下心があるのではと疑われていました。
そのため竃猫は他の猫から中傷やデマなどの嫌がらせを受け、孤立してしまいます。竃猫はついに寒さを忍んで他の猫と同じように外で寝るようになりますが、凍傷にかかって仕事を休むほかなくなりました。すると同僚たちはまた利用して大げさに言い立て、竃猫を事務所の隅に追いやりました。最後にはライオンがやって来て、この事務所が解散させられてしまいました。

宮沢賢治は同情に満ち、弱小なものを愛護する作家です。彼の描く竃猫は底辺で暮らす人の縮図で、彼らが自分を変え運命を変えようと努力しても、社会が機会を与えようとしません。いわゆる上層の人が彼らと同じ仕事をしても、彼ら以下の仕事をしてでも、なお彼らを差別します。底辺の人々は永遠に黒猫事務所のようなところに溶け込めませんが、上層部にはさらに上があり、事務所が根本から否定されて、竃猫がそれまでしてきた努力も水の泡になってしまうのです。

宮沢賢治の童話の世界は現実世界に対する再考に満ちており、主人公も多くは底辺で暮らす人の縮図です。物語には現実社会の闇や風刺も多く出てきますが、感動を呼ぶまごころとぬくもりがいっぱいで、またその細やかな筆致により、その世界の清らかさと透明さが見られるのです。

李文心 山東大学(威海)2018年度 日本語

『古事記物語』を読んで

『古事記』は日本で最も古い文学作品です。諸神の出現から書き出され、日本の国土の起源、天皇の家系について語られています。同書では天皇が太陽神である天照大御神の後裔とされ、神武天皇から推古天皇まで書かれています。『古事記』は線形に記述する方法で、日本以前の「歴史」を刺し連ねています。

見たところ、『古事記』で最も感動的なのは凋落の美――白鳥伝説と軽皇子の夭折です。白鳥伝説は『古事記』で最も優美なくだりで、倭建命の魂が八尋の白鳥に姿を変え、海の方向へと飛び立ちます。魂が白鳥に変わって海に身を寄せるとは、なんと優美な描写でしょうか。大海は無限の自由、白鳥は魂の美しい姿です。生命の憂いも心配もない自然な状態は死後にしか得られない、というこれほど精致な悲劇は、質朴な古人だからこそ書けたのでしょう。白鳥伝説が死の悲劇だと言うならば、軽皇子の夭折は生の悲劇です。軽皇子は同母妹の衣通姫を愛してしまいますが、兄妹関係は必ず古い哀愁を含んでいるものです。彼はその行為により世人の裏切りを招き、その結果として皇位を失いました。しかし兄妹は流刑に遭っても自己を裏切ることをよしとせず、最終的には情死しますが、冷酷で偽善的な世人を間接的に嘲笑していました。

『古事記』は日本で最も優美な詩歌で、後世の日本人を啓発したと言えます。『古事記』の後にも後の世まで伝わる傑作が多く誕生しました。柴式部の『源氏物語』、三島由紀夫の『豊饒の海』はいずれも並み外れて優美な日本の神話の再現です。『古事記』の小さい読者である私も、繊細な美しさを持つ日本の神話に深く動かされています。

王冠 山東大学(威海)2018年度 日本語

『川端康成集』を読んで

川端康成の小説は初めから作品の意味と表現手法を求めておらず、それによって連綿と続く気品が生じています。文脈は非常に流暢で、とてもはつらつとして見えます。

『雪国』を読んだときの気持ちには微妙なものがあり、ある種の喪失感がありました。さらに愛情、大人の世界に対する疑いと困惑については、個人的に経験不足のため、理解できない部分もありました。島村といい駒子といい感情移入できなかった点もあります。大雑把には葉子のイメージが最も明白で、純潔さを代表しています。駒子と葉子の共通点は、純潔さです。葉子には少女の純潔さがあり、駒子は愛へのあこがれに純潔さがあります。また、二人には自らの悲劇的な一面もあります。島村が葉子と火花を散らしても、彼らの間には何もありません。最後に駒子が島村と共に明るい銀河の中で消えてなくなるのを見たとき、彼らは一緒にいても一緒にはなれないのだと思いました。実際はそのすべてが常識に合っています。火花はそう簡単に散らせるものではなく、島村と駒子の身分と性格から、彼らが一緒にはなれないことは運命です。

『雪国』と『古都』の二作品はいずれも美の作りに気が配られています。前者で見られるのは日本伝統文学の悲しさと冷やかな美しさが互いに結合した余情の美で、いくぶん艶やかで退廃的な雰囲気です。後者で見られる美は完全に異なる情緒で、明け方の淡く微かな日差しのように、あっさりと、清新で、暖かく、幸せで、また背景ともども古風な雅がしみ込んでいます。最もうっとりさせられたのは『古都』の終わりで、心の底から言葉にならない悲しい情緒が湧き出しました。その悲しみは普通の悲惨な小説と違い、淡く微かな憂いと悲しみが空気中のあらゆる隙間に充満して、一つ一つの細胞にしみ込み続けています。読んで、心の中の静かさだけを感じました。

とにかく、川端康成の小説はオリーブの実のように味がとても薄く、じっくり咀嚼しないと見落としかねないほどです。彼の小説は独り言のように一人の孤独さ、一人の思想を描写していますが、まっすぐに一人の魂の深い所まで入り込みます。一文字一文字が静かな磁場になって、あの物寂しくて美しい景色、か弱い少女、孤独な青春、思想のある雲が……

何雨珊 山東大学(威海)2018年度 日本語

『川端康成集』を読んで

とても美しく、その美にはいくばくかの寂しさがある、というのが最初に川端康成を読んだ感想です。読んだのは比較的早く書かれた短編小説『伊豆の踊子』、続いてそれよりやや新しい『雪国』です。それから『千羽鶴』、『みずうみ』、『眠れる美女』、『古都』といった中期、晩期の作品も次々と読みました。しかしいつもまだ言葉にできないと感じてしまい、感想文を綴るのが遅くなってしまいました。

書かなければならないというのであれば、自分が思う川端作品は、歳月に従って、初恋の清らかな美の描写から、次第に肉体の老いと死の醜さへと変わっていきますが、しかし依然として少女や若い女性の清浄あるいは美しい体を使ってこそ、時間の流れ去る中で徐々に古びていく存在に触れられるのです。

初期の作品『十六歳の日記』では、彼の祖父が世を去る前の時間が写実的な筆致で記録されています。幼くして両親を亡くした彼を引き取った祖父が亡くなったのは彼がやっと十五歳のときで、彼はついに孤児になってしまいました。川端は『十六歳の日記』のあとがきの中で、「ああ不幸なるわが身、天にも地にもただひとりになる」と書いています。ここから、「孤独」が川端康成の一生の創作の根源だろうと分かります。最初の写実的な筆致から、その後のさらさらと流れる水のような初恋まで。『伊豆の踊子』には淡く微かな感傷が浸透しています。

「私は涙を出委せにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぼろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。」(『伊豆の踊子』末尾)

「彼は門に立って焼跡を見た。積重なった紙の灰が潤ひを吸い込んで静かに死んでいた。」(『静かな雨』末尾)

川端の言外の境地はどんどん美しくなっていき、末期の作品まで続いていきました。たとえ醜い事物や衰えた人物を描写するときでも、言葉で再現しようのないある種の詩情が読み取れます。

『みずうみ』の結末で、川端康成は抽象的な筆致で現実と幻想の境界をぼかし、ホタル、湖、青草、赤ん坊などのイメージの衝突で、現実と記憶の境界をぼかしています。ここでついに、幻と現実は本当に意味深長だという美醜に対する具体的な解釈が成立しました。肉体的な衰えのみならず、別のある種の衰えが川端康成の作品中に充満しているのです。

『千羽鶴』と『みずうみ』は階層の没落、戦前の貴族や富豪らの没落を扱っています。『古都』にいたっては、昔の斜陽が京都の全体に降りかかっています。斜陽はその名の通り、古都の中で伝統の紡織業は夕暮れの日の光のように没落しかけ、取って代わったのが異国から持ち込まれたラジオ、化学繊維、夜を照らす「蛍光灯」。感傷的になるのは避けられません。新しく生まれた世代の人物である菊治、太田文子、苗子、銀平はいずれも孤児として描かれ、濃霧の明け方の中で方向も分からず歩いています。

黄凱源 山東大学(威海)2018年度 日本語

『日本の伝説』書評

日本人の根源を主張するには、日本の神話の伝説に言及せざるを得ません。古来、庶民の口頭で語り伝えられている伝説の物語は正式な歴史文書に記録が残っていないので、多くの「暗号」が隠されてもいるからです。たとえば庶民の生活に暗い影を残す痩せた土地、そうした苦労に誘発された悲惨な事件、人類の内心に潜む凶暴さや残虐さ……民俗学の知識だけでは説明できない人心の闇は、隠喩に形を変えて巧みに過去の伝説の中に含まれています。これらの伝説の中では、もともと日本人が持つ感受性、死生観、無常観、風俗習慣といったものが、くっきりと鮮やかに生き生きと描写されています。

『日本の伝説』シリーズ叢書は日本の四国、北陸、南九州、名古屋、中国などの地区の神話や伝説を紹介しており、内容が豊富で、詳しい解説があります。文体は「物語」類に偏っており、書き言葉すぎる上かなり珍しい字もありますが、決して読解には影響しません。中でも印象深いのは第十五巻の南九州篇です。物語の多くは九州南部の鹿児島県、つまり封建時代の薩摩藩で生まれています。のみならず、南九州地区とは言いながら、九州中部の阿蘇山が出てくる話もあります。読む前に日本の地理を理解しておくと、文章を理解するうえで助けになります。

以上が『日本の伝説』の書評です。

2018年度 日本語 黄凱源
2021年10月10日

鄭劭雯 文化伝播学院2018年度入学

永川成基『彼女と彼女の猫』(部分)を読んで

簡単に言うと、『彼女と彼女の猫』は4つの章節を通して、猫を飼っているヒロインの人生の一部分を述べたものです。口下手で結婚を恐れている美優が捨てられていたチョビを拾い、……両親が離婚して新しい家庭を作ってから一人暮らしを始めた芸術家の麗奈は病弱な小猫のミミを受け入れ、……親友を失ったショックと自責の念でひきこもりになった葵がミミの娘クッキーに癒やされ、……家庭のせいで志を失ってもなお自由を尊ぶ「食客」を受け入れたクロ……物語を補うため、同じくだりをヒロインの一人称で述べるだけでなく、猫である主人公の視点も交えています。「猫の目」を通して女性らの勇気ある生活を観察していることで、都市の若い人の生存状態と人生の選択に直面したときのさまざまな心理状態をうっすらと感じ取れ、生活のために奮闘する若い世代の負けを認めないプラスのエネルギーに感動しました。

日本の文化の中で、猫はきわめて重要な位置を占めています。日本人には猫に対する特殊な感情もあり、文学、アニメ、日常生活などの面でこと細かに体現されています。猫がある種の文化現象になっているのは、日本民族は長期の生活の中で、自分の感触を猫で表現することに慣れ秀でているためです。猫を借りて自分のあこがれと精神の慰めを託し、または自分の抑えていることや不満を発散しているのです。

猫には何もありませんが、人に慰めを与えられます。

馬心蕊 山東大学(威海)東北アジア学院2018年度 南北朝鮮専攻

川端康成『千羽鶴』を読んで

『千羽鶴』で菊治が自ら埋め合わせをしていくのは、宿命との戦い、反抗のみならず、やはり感情の力と決裂する勇気を獲得したことが一番だと思います。作中に四人の女性が出てきますが、ちか子は世俗的な美、太田夫人は頽廃的な美、文子とゆき子は純潔な美のイメージで、それぞれ菊治の救いになっています。ゆき子が菊治を癒やしたと言うならば、太田夫人は一時的に菊治を罪悪感から抜け出させ、文子は彼の埋め合わせを徹底的に助けています。物語の最後で、文子は菊治に贈った志野茶碗を割って愛を終わらせることを選び、彼の父と彼女の母が残した罪を抜け出して、過去を忘れてやり直せるようにと願いました。志野茶碗の破片は近親相姦の宿命の消滅を意味し、また新たな生と希望を示しています。二人は最後に心の圧迫と束縛を打ち破って、魂の昇華を獲得したのです。耽美の感情が人間性の輝きを放ち、黒雲の中の人にいくらかの温かみを見せてくれます。改めて前に向かう決心で、心が本当の解脱と浄化を得られたのです。

なので、いつであろうと、どのような苦難に遭おうと、たとえ心に暗雲が立ちこめていても、なお好ましい事物と心を追い求め、現状を変えるという信念を堅く持ち、上を向く姿勢で、絶えず努力し千羽の鶴が舞い上がる姿を追っていき、作者が描く明け方4時でも眠っていない海棠の花のように、希望を持って、悲しみつつもしぶとく咲き誇るべきなのです。

馮嬌 西安外国語大学 図書館図書目録担当

進歩の階段 交流の橋

馮嬌 西安外国語大学 図書館図書目録担当

図書館スタッフで、また日本語専攻の卒業生でもある私は、日本語の図書を読むことがたいへん好きです。

学生の頃、日本語の本に触れられるのは大学図書館だけで、目にする種類も限られていました。いくばくかお金を集めてネットで本を買おうとしても、日本語の原書は本当に高く、しかもあまり流行していない本は多くが買えませんでした。

本が好きなので今の仕事に就き、前学期から日本科学協会の本学図書館に対する図書寄贈の連絡窓口を担当しています。メールボックスの通知が出るたび、「10-11-32」のような文字列で始まる件名を目にするたび、感動して急ぎメールを開きます。書籍リストを見るのはブラインドボックスを開けるようで、図書目録の中にすばらしいものが数多くあることを強く期待します。図書目録の内容はとても豊富で、学生みんなが好きな小説、文化、芸術、社会科学の類だけではなく、先生方が心から愛する言語学関係の専門書もあり、さらには多くの全集や県誌などの地方の叢書まであるからです。これらは研究にも収集にも価値があり、買いにくいものです。こうした本を収蔵して読者に提供できることは喜ばしいことです。

頂いている本は日本全国の個人、高校、大学、出版社、書店その他の社会機関から来ています。これらの本に目録を作成して収蔵するときはいつも、寄贈者の皆さんの心の声に思い至ります。前の図書寄贈活動では、寄贈図書が日本から本学に届く全過程に系統的な理解ができ、また数名の寄贈者の文章も目にしてとても感動しました。これらの本は一冊一冊が文化交流の使命を与えられており、寄贈者の真心を乗せています。きっと本学の読者達は、これらの書籍を読むことを通じてより多くの収穫ができるでしょう。最後に、日本科学協会と寄贈者の皆さんに心から感謝を申し上げます。頂いた本は必ずや当館で価値を発揮します。

大連外国語大学 日本語学院 4年生 冉沁霖

日本科学協会からの寄贈図書を利用して

大連外国語大学 日本語学院 4年生 冉沁霖

入学前に、大連外国語大学の図書館は中国国内の日本語の蔵書量一番多い図書館だと聴いたことがあります。大学が始まって1ヵ月後、基礎日本語の先生はビデオで図書館を紹介することをやらせました。そのため、携帯電話を持って、初めてドキドキに図書館に向かいました。一階、二階…五階までのインテリアや書籍の配置を撮影するときに、日本語図書と中国語図書の数がほぼ同じであることに気づいて、かなり驚きました。そのうち、ほとんどが日本科学協会から無償で寄付されたものです。図書の類も多く、文学作品に限らず雑志や百科教材などもそれぞれあって、5階はまるで日本地元の小さな図書館のようだと感じました。当時、大学の図書館をよく利用しなければ学費は取り戻せないから、大学の四年間でできるだけ多くの本を読まなければならないと考えました。

大学一年生の時、私は『日本語基礎会話』などの日本語入門教材を借りて読みました。これらの本を通じて、私ははじめから日本人の話し方で日本語を学んで、ある日本の先生が私に日本語らしい日本語を教えてくれたのようです。二年生の時に、私は日本語の雑誌を読んで始めました。それで、日本語勉強の面白さを強めるし、百科知識も把握できる、例えば、『富士山のガイドブック』、『日本の地下鉄図鑑』、『日本のファッション雑誌』などを読みました。知らない単语があっても、写真によって理解できるから、醍醐味を見つけ、また日本の社会文明にも大きな興味を持つようになりました。大学三年生になって、日本語のレベルが上がるにつれて、私は徐々にいくつかの専門的な本を読み始めました。例えば、日本語概論の授業の発表を準備する時、私は『日本語の文法論』を借りて読みました。それによって、理論的に体系的に日本語の文法構成を学ぶことができました。あっという間に、今4年生になって、卒業論文の研究方法を決定する際に、先生のアドバイスによって、図書館へアイディアを探しに行った、やはり、大量の文献資料を通じて、私の論文方法も明確にして、同時に多くの先行研究を参考資料として探り当てました。これは忙しい1年で、文献資料を除いて、『伊豆の踊り子』などの有名な著書も読みあがりました。図書館を利用する数年の中で、私は日本語の能力が上がっただけではなく、更に日本の文学、文化、歴史と社会などを理解するようになりました。

日本科学協会の本校図書館への寄付に誠に感謝しています。私たち日本語専攻の学生に豊富な学習資料と「親切」な学習雰囲気を提供してくれてありがとうございます。また、日本語を専攻していない多くの学生にも日本を理解する机会を与えてくれました。中日間の文化交流がより順調になり、それによって中日友好関系が推進されることを強く望んでいます。

南開大学日本語学部副教授 蒋雲斗

流動する書籍、流通する文化

降って湧いたコロナ禍で我々の生活方式は変わりました。日本文学の教育と研究に従事する私にとって、焦眉の急は日本語研究資料をいかに獲得するかです。コロナ禍では、中国大学人文社会科学文献中心センター各館相互利用システム(CASHL)が研究に便利で、ネット上で申請すればCASHL加盟大学の日本語文献を入手できます。興味深いことに、黒龍江大学、華東師範大学、曁南大学、山東大学、復旦大学などの大学から南開大学に借り受けた図書の多くが日本科学協会からの寄贈図書でした。これら中国各地からやって来た本が、CASHLを通じて私の机に届いているのです。日本科学協会が主催する各種大会へ参加するよう日頃から学生に指導しており、協会の先生方とも長年の友情があるので、協会寄贈図書の印を目にして非常に興奮しました。

私の研究の課題は、中国の古代の典籍の日本における広まりと影響です。古代には大量の中国の典籍が日本に伝わって、日本の文学に対して極めて大きい影響を生じました。目下この書籍の流通という課題を研究するため、全国の各大学図書館の相互利用により研究資料を借りており、書籍の流動の重要さを深く感じています。これらの日本語の文献は多くが日本科学協会の寄贈図書です。これらの中国にやって来た日本語の書籍はCASHLを通じて全国各地の教員や学生の学習や研究に便宜を提供しており、これらの流通している書籍はそれぞれ文化を載せた小舟のように、図書館を通じて全国の大学を移動しています。日本科学協会は1999年から中国の80余りの大学に日本語の書籍を寄贈しており、その数は今や398万冊以上です。日本科学科学協会の先生方は恐らくこれらの書籍の利用率と閲覧数を統計したことがないでしょう。こうした統計データはもはや重要ではないようです。これらの書籍は本棚で静かに必要とする読者を待っており、中国全土の大学図書館を動いているのですから。これらの寄贈図書の流動性の強さは、日本科学科学協会の先生方が寄贈されたときに思い付かなかったかもしれません。

末筆ながら、日本の各大出版社、蔵書機関、公益団体そして中日の友好交流に関心を寄せる人々の寄贈図書に感謝を申し上げます。こうした団体や個人の寄贈が重要なのです。日本科学科学協会で図書寄贈を担当されている顧文君先生、孔暁霞先生、阿羅美奈子先生に感謝を申し上げます。中日の図書文化交流のために彼らの行った何年もの貢献に感謝しております。また南開大学図書館で相互利用センターを担当してくれている張紅莉先生、そして世に知られず各大学図書館の相互利用サービスに従事し、幅広い読者に親切にサービスしている先生方にも。

北京大学考古文博学院
北京大学考古文博学院
北京大学考古文博学院
北京大学考古文博学院

北京大学考古文博学院

公益財団法人 日本科学協会 御中

2020年12月25日、北京大学考古文博学院は、大塚初重先生ご寄贈の日本科学協会から送付していただいた書籍と雑誌の資料を無事に受け取りました。合計で図書30,018冊、手稿などの資料34,000ページです。この場におきまして日本科学協会に心からの謝意を申し上げます。

大塚初重先生は日本近代考古学を自ら経験したその証人でもあり、一生本を好み学問は深く精密で、その蔵書は日本および東アジアの考古学などの分野を覆うものです。2018年に大塚先生はすべての蔵書を考古文博学院に無償で寄贈したいと申し出られました。この寄贈により北京大学の日本の考古と歴史に関するコレクションが極めて充実し、学科の構築と人材育成が促進されることでしょう。大塚先生、学院とも、書籍と雑誌を早いうちに北京大学の適切な場所に落ち着かせられることを切実に期待していました。

しかし、経費不足により、2018~2019年は書籍と雑誌の整理、保管、輸送の作業が滞ってしまいました。2020年には新型コロナウイルスの猛威に全世界が巻き込まれ、人々の正常な作業や交流に甚大な影響が出ました。この困難が次々と重なる情勢のもと、北京大学図書館と長年協力してきた関係に基づいて、日本科学協会が無償でもろもろの作業を引き受けてくださり、学院はたいへん助かりました。特に顧文君常務理事を主とする作業チームが迅速な対応、積極的な運営、方々との調整により、すばやく確実かつ効率よく資料類を中国に運ぶ前のすべての作業を終えてくださいました。作業を進める中での顧常務理事の入念さ、善良さ、真心が深く印象に残っております。双方の人員も深い友情で結ばれました。2021年、学院図書館は寄贈を受けた書籍と雑誌に捺印、整理、目録作成の処理を行い、できるだけ早く全学の教員や学生に大塚先生のご寄贈と科学協会の公益事業の恩恵を届けます。

末筆ながら、北京大学考古文博学院は改めて日本科学協会の関係者の皆様へ心からの感謝と崇高な敬意を申し上げます。公益には地域も国境もありません。日本科学協会の公益事業がより遠くへ進んでいけますように。考古文博学院はまた、日本科学協会と共に学術交流を展開し、いっそう両国の相互理解を促進して、世界の安定した発展のために貢献したいと願っております。

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