人文・社会系選考委員会委員長
<時代状況を受けた総評>
日本科学協会の笹川科学研究助成に、新型コロナ感染症のパンデミック状況から脱して、落ち着きある世界状況と研究環境が戻ってきているなかで、若手研究者による多数の申請が寄せられたことは、今後の日本の学問研究の興隆に寄与するものと、おおいに期待するものです。
申請された分野ディシプリンも、社会学、心理学、教育学、文化人類学、地理学、歴史学、考古学、文学、美学、音楽学、芸術学、政治学、経済学、経営学、農学など幅広い分野からの応募があり、留学生、女性研究者の応募も目立ちました。好ましい傾向として歓迎します。社会科学で言えば、政治学、経済学、経営学の応募は一定数でてきましたが、この系統の応募はもっとあっていいと期待します。
昨年度と比較して、修士からポスドク、助教、非常勤講師まで、応募者の幅が広がり、手堅い研究が少なくなく、申請内容の水準が全体により高まったように感じます。またその分、標準的なレベルの研究計画が多く、さらなる独創性の発揮に期待しています。気になった点では、学際的研究は歓迎しますが、最終的な着地点としては人文・社会科学という枠を意識したものであることを願います。この点から、方法論として自然科学的な方法をとる心理学・人間科学では、より解説的な手続き説明の一層の工夫が求められるということです。
社会的な制限が少なくなってきたからこそ、また本会の助成費の拡大が実現したからこそ、今一度、研究の実施内容とともに研究目的とその社会的意義を再確認する必要があるといえます。その独自性の説明が専門分野に閉じすぎて微細な説明に限られてしまい、より広い社会性からの意義や普遍性の付加が求められるなど、いくつか気になる点が出てきたのも事実です。そこで、以下に2025年度申請をめぐって、感想と留意点を記します。
<個別の留意点>
専門説明と普遍説明
専門性が充分に深められる研究である必要とともに、その意義が多くの人に理解できるように書く必要があります。研究のより広い分野での意義や社会性・普遍性の広がりを意識して、専門の異なる評価者にも理解できるように、独自性や意義をわかりやすく説明する工夫が必要です。心理学や人間科学の分野に、また人文・社会分野と言いながら実験など方法論として自然科学の方法をとる研究に、この両面で説得力を持たせようとする、図表使用の工夫や初期理解を企図する説明がなされているかは、研究の意義と実際を伝えるのに必要な努力だと選考委員会は考えています。専門領域を深く掘りこむ説明と広く社会的な意義の説明とが意欲的に叙述されている研究が増えています。その傾向が高まっていることを歓迎します。福祉学と心理学をつなぐ研究が多く現れ、福祉の枢要性という時代の要請を着実に捉えた良い研究が増えているのは、新規性ある実践的な切り込みの現れと理解しています。一層の両面努力を期待したいと思います。
申請分野
このような、専門化を深める説明と広い問題関心者にも伝える努力の必要性は、自らの申請分野に齟齬がないか、いま一度、申請者が再考する必要性とも結びついています。一部の申請には、明らかに学術世界で一般に承認される「人文・社会の範疇」を逸脱する研究が見られ、しかもそれが分業を集成した自然科学研究室によくある大規模共同研究や研究室全体の資金調達を目的としたと疑われる申請が見られることは遺憾です。その意味で、ファースト・オーサーとしての独自性に注目しています。自然科学と人文・社会科学との距離を埋める説明努力を一層おこなうか、申請分野を変えて申請したほうがよいのではないか、と考えられる申請も見られます。熟慮と対応に期待したいと思います。
独自性と新規性
独自性・新規性に充ちた問題意識を堅実に深めていく研究を求めています。その意味で、時代の技術進歩を反映し、申請書の内容は研究計画の新規性、萌芽性が高いものが、例年にも増して多くあったように思います。例えば、研究手法として深層学習、AI、ビッグデータ、デジタル・ヒューマニティーズといったデジタル技術を用いるものが増えました。全体として昨年と比して8%の申請数増があったのも、こうした諸研究への情熱が数を押し上げている一因になっていると見ています。
一方、これまで存在したテーマでも新しい視角からの掘り下げでユニークな研究になります。外国からの留学生が、日本ならではの独自研究性、日本文化から掘りこむ視角に触発され、自国文化の現象を分析しようとした研究など、しかも、それをグローバルに照らす広いオリエンテーションに置く視角もあり、高い評価を獲得しました。研究の幅の広がりを感じます。特に、日本や世界の特定の1地点での研究のみならず、グローバルな視点、例えば、フランス人による日本とフランスにおける内閣制度の比較、また日本におけるムスリム問題、など、優れた視点の研究がありました。日本におけるセーラー服の導入の経緯の研究なども新規性があり興味深い切り込みです。
上記の申請書は、研究目的の明確性、調査手法の妥当性、研究内容の新規性・萌芽性・独創性、経費の必要性といった面から高く評価されましたが、特に、その研究がどのような好奇心から始まり、面白いと思う点はどこにあるのかが明確に伝わりました。さらに、研究意欲の持続性や将来の発展可能性についても読み取ることができる内容でした。
今後、若手研究者を取り巻く研究環境は益々、厳しさを増すことが予想されますが、幅広い知識に裏打ちされた強い好奇心と情熱を持って、自分が目指す課題にチャレンジしていただきたいと思います。独自性を示すための比較参照文献ですが、本文中に文献を参照しているが、文献リストが挙がっていないものがありました。抜け落ちのないよう堅実に説いていってほしいと希望します。
研究計画―内容‐方法の明確化と「マクロビジョン・総合研究達成と単年度申請」
研究内容は、研究の学術的意義をはじめ、その研究計画が研究者としてどのような好奇心から導き出されたものであるのか、あるいは、人間社会が抱えている様々な課題にどのような貢献をすることができるのかが理解できるものであることが望まれます。その研究の明確性を前面化するためには、「研究の実施内容」欄に、研究内容そのものを列記するだけではなく、研究を実施するにあたっての方法(調査、資料収集、実験、インタビュー、アンケート調査など)を研究内容に沿って具体的に書くことが重要です。定量的研究に加えて参与観察等定性的研究が増大し、ともに説得力ある論述が多くみられたことは喜ばしいことです。時代状況もあって、対面ではなく、オンラインサーベイによる研究が増えてきていますが、特にアンケート調査ではどこまで有効性を担保できるか、十分な説明をおこなっておく必要があります。
研究計画について、自分の研究としてスケールの大きい研究や比較研究を持っていてよく、それを本助成のような単年度申請での相関性で説明するという両面が求められます。単年度で成果をあげることに目標を置くやや急ぎすぎの研究が少なくありませんでした。若手研究者の置かれている状況をよく理解しますが、就職の前提としての博士号の取得への焦りと伝わらないよう、その分、研究の厚みという点で説得力を感じさせてほしいと希望します。時代思潮を抽出する全体研究のビジョンを示したのち、単年度に実現可能なテーマに集中する工夫を加えるなど、全体との相関でテーマを明確にした研究が説得力ある申請となります。
予算の立て方‐図書費、旅費、謝金、論文掲載費
支出計画では、図書費を漠然と、しかも多額に計上している申請が少なくありません。図書館などで閲覧可能と思われる書籍を購入しようとする申請は、評価が低くなります。そこでしか入手できない地方出版物や特殊な出版物など、「~分野関連書籍」などと勝手に書くのではなくその書名を例示するなどして、図書資料の購入の必要性を説いて欲しいと思います。アルバイトを使うなど謝金の使用についても、それが本当に必要な助力か十分にチェックされることをお奨めします。基本的に、「自ら汗をかく」研究態度が求められます。また、一般に謝金はその意味が不明瞭になりやすいため、注意深く計上する必要があります。研究方法論上、実質的な現地調査を中心に据えるにしても、往復の旅費交通費だけ突出した料金で申請し、他の研究項目に資する出費を計上していないものも、実現可能性が低く評価されます。また理由も明示せず同一海外調査地に複数回渡航する申請も、低い評価となります。季節性なのかカウンターパートの~という事情なのか、2回以上渡航する研究はその必然性を説明する必要があります。調査を外部発注する費用だけに巨額の費用が計上されているのも、好ましくありません。比較的大きな予算が必要となるウェブアンケート委託費用や赤外線カメラ・3Dスキャナー・パソコンなどの機器購入費用を計上する際には、その必要性についての十分な説明が求められます。またアンケート調査のやり方として、調査会社に依頼するというのは、その依頼費用が全体経費の3分の2以上を占めている場合が多く、「丸投げ」感があります。もっと若手研究者らしい、あるいはいかなる研究でも本質と言える「自ら汗をかく」研究姿勢に期待したいと思います。委託費を含むにしてもそれを低減させて、多様な項目への研究経費必要性を計上されることをお奨めします。
自然科学系の投稿料は高騰を見せていますが、人文・社会系の学会ではまだその傾向は希薄です。巨額の論文掲載料が計上されるのも、論文掲載が研究のアウトプットに属する点から見て、好ましくありません。下に示す学会費も同様で、研究内容を構成し肉付ける実質的な調査や研究活動への支出が基本となります。また、研究計画はまとまって説得力があるのに、計画と研究経費の合理的関連性が乏しい申請は、説得力を欠きます。研究テーマ、研究方法、申請金額は連動しています。研究方法は、実験、アンケート調査、フィールド調査などによって、研究テーマと研究方法にそって申請金額が正当だと認められなければなりません。
予算の立て方‐機器、学会費
一部に「初めに研究費ありき」で、研究の学問的意義を図りかねるものも散見されました。機器の購入は、基本的に研究室や大学で用意してほしいものと考えています。支出計画を作るときには、調査や研究行為の頻度や場所、所在地、個数、機器の使用、そこに行くことの必要性など、研究計画をもう一度見直し、研究計画と支出計画に整合性があるかを確認してください。
支出計画で、繰り返しますが、問題とするのは、学会参加費や学会年会費、さらには投稿料に当てる費用支出です。学会費は、申請に特化した研究課題に関係なく毎年発生する固定費だと私たち選考委員会では捉えています。人間科学の分野で特に、複数学会への参加で著しく多い学会旅費を計上している申請がありました。学会参加は、発表するとしてもそれは研究のアウトプット行為であり、「一般的な情報収集」の行動であり、研究そのものを構成し創りだす主たる活動や調査ではありません。学会参加の旅費等は、後優先であり、一次的重要性ではなく二次的なものと心得てください。
学会参加費、学会年会費、投稿料は、国内・海外を問わず、研究調査の支出項目としては優先度が低いものと考えています。ここでは多くの場合、研究計画に書かれている研究を深める内容と支出が一致しておらず、厳しい採点になるのは避けられません。パソコンソフトの購入も研究主題からすれば、周辺的な支出と判断します。研究内容の充実・発展そのものを形作る中心的で不可欠の研究活動への支出を堅実に組み立てていかれることをお奨めします。
推薦を依頼するにあたって
申請者の研究に随伴しながら後押しする推薦者の推薦文も、注意深く読み込まれます。推薦書については、昨年度に引き続き、総花的、皮相的な記述に終始するものが散見されました。推薦書の記入がパターン化し、職務上のルーティーンになっているかに映るものもあり、読んでいて残念でした。今後に向けて、推薦者の推薦の意を感じさせる記述に期待したいと思います。若手の研究者については、研究者、研究内容について、評価出来る部分と改善が求められる部分(発展可能性)の双方が存在するのが一般的だと私たち選考委員会では考えています。申請者には、推薦を依頼するにあたって、推薦者に対してその点を明確にすることを求めたいと思います。
以上の点を留意され、学問的意欲にみち誠実で独創的な研究申請を今後も行っていただきたいと期待します。本年度は、全体として、新型コロナウイルス(COVID-19)の状況改善に伴い、調査研究の制約が少なくなり、また、申請額の上限が引き上げられたこともあり、申請件数の増加に影響しました。留学生、女性の申請数も多くさらなる伸長を期待しますが、女性留学生(特に中国国籍)の申請者に占める割合が10%を超えている現状があることにも、注目しています。かつては、中国人の応募に日本語と研究手続きに瑕疵ある申請が目についたものが、今日、中国人特有の観点をもつ研究、あるいは中国では助成が受けにくいと思われる研究が多く、総体的に評点の高い研究が多かったことをここに記し、留学生諸氏にはさらなる独自性ある研究へと発展していっていただきたいと期待します。自然災害や地球環境の変化やパンデミック経験を経て、現在、私達のライフスタイルに様々な変容が起こり、またそれが求められているところがあります。このような新時代‐新状況に対応した、新たな研究課題の発掘・展開にも期待したいと思います。